動物武術の虎鷹拳院日誌

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勁力への旅・その七(国内ドタバタ篇)

*勁力への旅も最終回です。読者の方から、国内ドタバタ篇も書け、といわれたので、ちょっとだけ。

*20代の時、友達から太極拳が強そうだぞ、といわれたのでサトキ◯道場へ入門してみた。当時は選択肢がほとんど無かった。これは、後年、故佐藤聖二さんから、「フジマツさんはサトキ◯道場へ行ってた暗い過去がある」とからかわれる原因となる。佐藤さん、無邪気なものでした。子供みたい。私は高校生の佐藤さんから少林拳を習っていました。佐藤さんはもう太気拳の修行をしていました。

*その頃私は、友人たちと桃果団という武術サークルを作って、北の丸公園田安門の広場で、毎週日曜日に練習していました。この桃果団が、虎鷹拳院の原点です。何故か、噂になって、若い人が集まってきました。

*さて、時間を戻して・・・故松田隆智先生が、台湾経由の情報を著作にしてました。「少林拳入門」、「太極拳入門」とか、代表作が「謎の拳法を求めて」など。

*どうも、サトキ◯道場の情報と食い違う。それで、自分で中国へ行って確かめよう、ということになった。当時、中国とのパイプは、日本武道館で練習していた今は亡き日本太極拳協会しか無かった。自民党の故古井喜実先生のパイプです。それで、戦後初の大衆的太極拳旅行団に紛れ込むことにした。そこで見聞を広める。確か1977年かな。

*当時は、中国武術代表団が日本各地で表演会をしていました。1980年、東京公演の帰り道、なんとなく匂いがしたので、中国人らしい青年に声をかけてみる。八極拳ができる、とのことで公園で少し見せてもらうことにした。当時から中国語はちょっとだけできました。李英先生の発見です。

*国内で八極拳を見たことのある人はいなかったので、自分と同行した友人二人が第一号でした。でも、人がいい私は、さっそく佐藤聖二さんに「八極拳の先生が見つかった」と電話しました。八極拳は1980年から85年にかけて学びました。これは、人間関係が原因で止めてしまいました。でも、李英先生には感謝しています。後年、姿勢の勁力の発見に、八極拳の経験はたいへん役に立ちました。

*1982年に、上海へ旅行して、太極拳研究家の故顧留馨先生の自宅を訪問しました。(押し掛けた。) そこで、推手を裏技まで習いました。顧留馨先生、陳式太極拳と楊式太極拳の著作で有名でした。

*1984年(一ヶ月)と1985年、上海外国語大学へ語学研修しました。語学研修を利用して、一人で武術学習しました。徐文忠先生の自宅へ押し掛け、一至八翻(古典的な翻子拳) を習いました。心意六合拳もちょっとだけ。(その心意六合拳はスタイルが違うので、今はやっていません。)

*1985年は、自分で武術学習団を組織して(中国留学協会に支援してもらい) 、上海体育学院に二週間、翻子拳を学びました。私は上海外国語大学に残り、そこから通いました。それが終わってから、徐文忠先生に同行して、安徽省合肥市に徐淑貞先生(徐文忠先生の娘さんで、武術コーチ) を訪ねました。そこでも武術学習です。

*国内では、84年頃、常松先生に通背拳を学びました。そこは、私が様々な武術を習っていることで、他の道場生に嫌われたので、止めました。常松先生には良くしてもらったのですが、メンドー臭くなりました。私、投げやりな性格なので、すぐに逃亡します。後年、拳杯の大会もトラブったので、放棄して、ついでに中国武術とも絶縁しました。

*拳杯のトラブルでは、大阪の合気道の先生にお世話になりました。ありがとうございます。殺しのメッセージをくれた胴締め先生にも、「結果としては」感謝しています。その頃、拳杯を続けることに疲れていました。(自分の武術を深める時間が欲しかった。大会をやるために武術しているわけではない。まして、武術権力なんかどうでもいい。) 

*結果として、中国武術とも絶縁できました。これは本当に良かった。神様のお導きでしょうか? (無神論者なんですが) 中国武術と絶縁できたことも、姿勢の勁力を深める結果となりました。いいことばかりです。何故か、悪いトラブルが、結果として良い方向へ導きます。

長くなったので、一旦、切ります。(次回で本当に最終回です。) 
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by tiger-hawk | 2016-02-16 05:36 | 勁力への旅

回族心意六合拳・宋氏形意拳・動物武術・虎鷹拳院・姿勢勁力・藤松英一


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