反本能その一の補足2です。
*地面を蹴らないということは、いいかえると体重移動しないで撃つ、ということです。
*ヒトの直立二足歩行は体重移動で成り立っています。当然、撃つ時も体重移動を利用して撃ちます。格闘技もそうなっています。人間武術もそうなっています。
*これも本能といえるレベルです。
*ところが、体重移動すると体重を浴びせる結果になります。すると、後ろ足は空っぽになります。
*正確には、後ろ足の下腿勁力トライアングルが空っぽになります。結果,勁力は消えてしまいます。見た目は足首が伸びています。
*勢いに負ける、ともいえます。
*これを克服するためには、足の力を抜きます。足は地面を蹴りたいので、常に力を入れる傾向にあります。その力を抜いてしまいます。そして、体重が常に下腿勁力トライアングルにあるようにします。
*ところがこんなことをいう中国の先生はいません。それで私も不安でした。私は間違っているのだろうか? と不安でした。
*しかし、宋氏形意拳の宋光華先生,趙栄昌先生、趙先輝先生などを観察すると、体重移動しているようには見えません。心意六合拳の師匠を観察しても、体重移動しているようには見えません。
*そして、宋氏形意拳の先生でも心意六合拳の先生でも、失敗していると感じられる先生は体重移動しています。
*この問題は中国では明確に語られていないようです。そこで、私はこの問題を徹底追求してみました。
*具体的には、宋氏形意拳の崩拳で徹底しました。心意六合拳の単把で徹底しました。その他の技でも徹底しました。
*その結果、前方へ突っ込むことが無くなりました。技の威力が倍増しました。
*反対に、少しでも体重移動すると、技の威力は激減しました。
*但し、体重移動しないということは勢いを殺すことです。すると、見た目の迫力は消えてしまいます。私の宋氏形意拳も心意六合拳も、迫力ゼロとなりました。
*これは私には好都合でした。なにしろひねくれ者のフジマツです。迫力ゼロなんて楽しいではありませんか。アハハ
*その始まりは、宋氏形意拳のフニャフニャ崩拳です。そこに心意六合拳が加わりました。すると、心意六合拳の師匠に罵倒されました。
*「お前のは武術ではない ! 踊りだ ! 」と罵倒されました。「それは踊りの師匠に失礼ですよ、センセー」と心の中でつぶやきました。
*なにしろその頃は私は、勁力なんてありません。勁力ゼロです。ただ、力を抜いていただけです。
*それでも、ここで力を入れたら駄目になる、という確信がありました。この道の先に勁力がある、と考えていました。
*そこで師匠の罵倒をやり過ごしました。ひたすら耐えました。
*これがフジマツスタイルの始まりでした。今では勁力があるので、フニャフニャ崩拳も見た目はフニャフニャではありません。心意六合拳も迫力はありませんが、それなりに見えます。
*さて、その方法です。ここが肝心です。
*勁力の起点は何処か? それは後ろ足の足指です。では、勁力の終点は何処か? それは後ろ足の足指です。起点と終点が同じなんです。なにしろ、体重移動しませんから、起点と終点が同じになります。後ろ足から伝わった勁力が手に伝わるわけではありません。
*ここでいわゆる「勁道」の概念は否定されます。勁道はありません。心意六合拳の「周身功・渾身拳」の本当の意味が理解できます。
*歩いて撃つ時は、前足一本足状態から撃ちます。この時、前足の足指が起点となります。この前足はすぐに後ろ足となります。その時、後ろ足足指となります。同じ足の足指です。結果は同じです。
*勁力の起点はもう一つあります。それは手の指先です。心意六合拳の鷹爪のことです。これも終始、変化しません。すなわち、勁力の起点と終点が同じとなります。
*これは自分が指行性四足歩行動物になった、と想像すると理解できます。あくまで想像ですけど。
*身体は一つ、勁力は一つ、となります。なにしろ勁力は姿勢ですから。
(予定変更して、ごめんなさい。次回は反本能その二となります。)