*「心意六合拳・鶏歩を練習すると足首が痛くなる。」との声は以前から聴いていました。その時は、まだ慣れていないからだろう、と考えていました。それはどうやら、間違っていたようです。
*ある人から、「足首が痛くて、鶏歩の練習は苦痛でしかない」と聴かされました。「多くの人がそう感じている」とも聴かされました。
*これはたいへんな問題だ、と気付かされました。
*そこで、その訴えた人の身体バランスをチョイチョイと直してやりました。すると、すぐに解消しました。1分も掛かりませんでした。
*少し前屈みの上半身を直しただけです。
*だったらもっと早く直せよ、と叱られてしまいますが、実は少し前屈みでも問題ありません。
*問題は、足首に体重を掛けてしまうことです。
*それはオマエが、足首に体重を降ろす、と言ったからだろう、と叱られてしまいます。
*そこは言葉が足らなかったかもしれません。
*足首に体重が降りてきますが、それは足首に体重を掛ける、という意味ではありません。
*それは、降りてくるのです。「雪が音も無く降って来るように」、体重が降りてきます。
*日本人はくそ真面目なので、一生懸命に足首に体重を掛けてしまうようです。
*フジマツは不真面目な人間なので、そんなに一生懸命に鶏歩しません。
*力を抜いて、フニャと鶏歩を造ります。
*足首が痛くなる人は、足首に力を掛けているのです。
*そんな力は要りません。
*自分の体重があるのだから、体重に任せるだけです。
*真面目な人は、なんでも力で解決しようとします。なんでも力を入れてしまいます。
*「勉強に力を入れる」とか、「仕事に力を入れる」とかの表現もあります。勉強なんて言葉もおかしい表現です。勉強・・・「強いて勉める」というわけです。そんなに強いて勉めることもないのになあ・・・と怠け者の私は思います。
*勉強よりも学習という言葉が好きです。
*力は入れるものではなく、力は出すものです。それが勁力の考え方です。
*だから、「勉強に力を出す」とか、「仕事に力を出す」という表現にすべき、と愚考いたします。
*鶏歩に戻ると、足首に力を掛けてはいけません。足首が痛くなります。
*足首に体重が降りて来るのを待ちます。ゆっくりと待ちます。
*地面を蹴ると、いくら待っても体重は降りてきません。
*足首の力も抜いてしまいます。ヒラメ筋の力も抜いてしまいます。足指の力も抜いてしまいます。趾球の力も抜いてしまいます。
*やがて体重が降りてきます。それは、雪が音も無く振って来るように・・・
追伸
「雪が降るように」と言ったら、ある人に文学的表現ですね、と言われました。実はフジマツ、文学的素養はゼロです。小説が読めません。動物学とか歴史書は読めます。最近読み返して面白かったのは、「にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語」サム・キーン著、でした。物理学は数学ができないので無理です。以前、物理学で勁力を説明せよ、と叱られましたが。そんな私が、「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ著、を今読んでいます。上海が舞台らしいので手に取ってみました。昔の上海が好きです。今は未来都市みたいになってしまって、風情も消し飛びましたけど。1980年代の上海へ行きたいと思います。もう夢の中にしかありませんけど。