*中国武術という武術は、実は存在しません。中国武術は虚構です。それは、1970年代に、中国の国策として作られました。だから、武術代表団として、世界各地で公演が行われました。
*国術と命名された向きもありました。まさに、国家主義の象徴的存在として利用されたのです。
*空手にも様々な流派があります。それでも、空手には武道・武術の一つの大まかな括りとしての技術体系が存在します。合気道にも様々な流派があります。それでも、合気道には共通の言語とスタイルがあります。
*いわゆる中国武術は、幻想の存在です。そこに、共通の思想・言語は存在しません。中身は、完全にバラバラです。
*そんな中国武術を、一つのジャンルとするのは、不可能です。だから、幻想を維持するのは、無駄な努力です。幻の中国武術は、捨ててしまいましょう。それが現実的だし、生産的行動です。
*幻の中国武術に、命を賭けるなんて、馬鹿馬鹿しいことです。辞めてしまいましょう。
*おいらにとっての武術は、先生たちとの個人的体験です。それだけのことです。国家権力とも、武術権力とも、無関係です。
*国家が幻想共同体だとしても、国家権力は実在します。直接には、軍隊・警察・行政として、つまり暴力装置として存在します。同様に、中国武術が幻想だとしても、中国武術権力は存在します。
*しかし、中国武術権力は、暴力装置を持っていません。だから、とても曖昧な存在です。特に、日本の社会で活動するのに、特別な規制はありません。しかし、中国は徹底した管理社会なので、その活動にはいろいろと規制があります。そのへんの事情は違います。これは、日本人にとっては幸いです。
*趣味の世界まで制限されたくはありません。だから、中国武術権力に媚を売る必要もありません。その支配下に入る必要もありません。だいたい、権力と付き合うと、金を取られます。住民税とか所得税とか消費税とか、保険料とか、電気とか水道とかガス代とか、たいへんです。
*中国武術権力と付き合うと、お金も時間も取られます。付き合うだけ、損します。でも、付き合わなくても、税金も取られないし、電気を止められる心配もありません。それだったら、付き合う必要はありません。怠け者のおいらは、メンドー臭いことは、やりたくありません。
*人間、自由が一番大切です。離婚した時も、子供と離れるのは寂しかったけど、自由になれたのは、とても嬉しかったのは忘れられません。
*神もなく主人もなく、人間は自由になるべきです。
*さようなら、虚構の中国武術よ。
*国術と命名された向きもありました。まさに、国家主義の象徴的存在として利用されたのです。
*空手にも様々な流派があります。それでも、空手には武道・武術の一つの大まかな括りとしての技術体系が存在します。合気道にも様々な流派があります。それでも、合気道には共通の言語とスタイルがあります。
*いわゆる中国武術は、幻想の存在です。そこに、共通の思想・言語は存在しません。中身は、完全にバラバラです。
*そんな中国武術を、一つのジャンルとするのは、不可能です。だから、幻想を維持するのは、無駄な努力です。幻の中国武術は、捨ててしまいましょう。それが現実的だし、生産的行動です。
*幻の中国武術に、命を賭けるなんて、馬鹿馬鹿しいことです。辞めてしまいましょう。
*おいらにとっての武術は、先生たちとの個人的体験です。それだけのことです。国家権力とも、武術権力とも、無関係です。
*国家が幻想共同体だとしても、国家権力は実在します。直接には、軍隊・警察・行政として、つまり暴力装置として存在します。同様に、中国武術が幻想だとしても、中国武術権力は存在します。
*しかし、中国武術権力は、暴力装置を持っていません。だから、とても曖昧な存在です。特に、日本の社会で活動するのに、特別な規制はありません。しかし、中国は徹底した管理社会なので、その活動にはいろいろと規制があります。そのへんの事情は違います。これは、日本人にとっては幸いです。
*趣味の世界まで制限されたくはありません。だから、中国武術権力に媚を売る必要もありません。その支配下に入る必要もありません。だいたい、権力と付き合うと、金を取られます。住民税とか所得税とか消費税とか、保険料とか、電気とか水道とかガス代とか、たいへんです。
*中国武術権力と付き合うと、お金も時間も取られます。付き合うだけ、損します。でも、付き合わなくても、税金も取られないし、電気を止められる心配もありません。それだったら、付き合う必要はありません。怠け者のおいらは、メンドー臭いことは、やりたくありません。
*人間、自由が一番大切です。離婚した時も、子供と離れるのは寂しかったけど、自由になれたのは、とても嬉しかったのは忘れられません。
*神もなく主人もなく、人間は自由になるべきです。
*さようなら、虚構の中国武術よ。
*カルフォルニア州で計画している「新幹線の工事と車両及び運行システム」の契約を中国側が獲得することに成功したそうです。
*技術は日本の新幹線のコピーです。でもそんなの関係無い ! 凄いですね。中国人の商売。でも、中国武術は違います。もうすぐ日本のレベルが中国を追い越します。おいらの理論なんて、もう中国を超えています。日本人よ、早く迷信から目覚めなさい。気とか陰陽五行とか、アホですかあ?
*元奥さん、安徽省武術隊出身です。つまり「官」出身です。中国では「官」の「民」に対する軽蔑と差別は凄まじいものがあります。元奥さんも民間武術に対する差別感情は、もの凄いものがありました。おいらの先生たちなんか、ボロクソです。人間としての存在価値はありません。でもそれが、中国武術を滅ぼすことに気付きません。
*元々、武術(うーしゅう) は、民間のものです。それを官が拾い上げて、新スポーツとしました。長拳も二十四式太極拳も、官が作りました。元は民間だから、体育運動学校でも、武術の地位は低いのです。欧米系スポーツに、武術は差別されています。スポーツはイギリスの貴族の娯楽から発祥したのですから。差別された官の武術が、さらに民の武術を差別する構造です。
*表演武術は商売になりません。オリンピック種目にもなれません。中国人にも飽きられています。底が見えてしまったのです。太極拳は外国人に大いに受けました。一部の陳式太極拳や八極拳は、外国人相手に成功しました。他の拳種は、まあそれなりにショボショボです。
*1980年代、破壊と殺戮の時代(文化大革命) は終わったのに、多くの民間武術家は、自らの技術を伝えることなく、墓場へと消えました。官から顧みられることもなく、評価されることもなく、技術を伝える情熱も失せて、その技を墓場へと運んだのです。それからも、その傾向は変わりません。中国武術は緩慢な死を迎えるのです。
*武術を学んでも金にはなりません。将来はガードマン? 金持ちの用心棒? あるいは映画スター? それは順序が逆です。映画スターあるいはその卵が、演技の幅を広げる小さな一つとして、武術を習うケースもまれにある、ということです。まれ、です、あくまで。
*中国は完全な資本主義帝国となりました。金が全て、です。金にならない武術なんぞ、見向きもされません。まして、官でもない民の武術なんて、滅びて当然です。健康法? それなら散歩で十分です。飽きたらヨーガでもやればいいのです。ノルディック・ウォークもあります。
*日本の事情は違います。あくまで、趣味として武術をやるのです。金にはならないことを十分承知して、趣味武術をやるのです。だからこれから、中国武術の本場は日本になります。
*でもまだ秘伝幻想があります。騙されたい人々も、たくさんいます。秘伝幻想から解放された時、自由になった日本は、完全に中国武術の本場になるでしょう。
*仕事が忙しく、練習に通えなくなることもあります。リストラされて武術どころではなくなることも。奥さんに禁止されることもあります。でも、様々な困難を乗り越えて、面白い趣味武術を続けていきましょう。
*技術は日本の新幹線のコピーです。でもそんなの関係無い ! 凄いですね。中国人の商売。でも、中国武術は違います。もうすぐ日本のレベルが中国を追い越します。おいらの理論なんて、もう中国を超えています。日本人よ、早く迷信から目覚めなさい。気とか陰陽五行とか、アホですかあ?
*元奥さん、安徽省武術隊出身です。つまり「官」出身です。中国では「官」の「民」に対する軽蔑と差別は凄まじいものがあります。元奥さんも民間武術に対する差別感情は、もの凄いものがありました。おいらの先生たちなんか、ボロクソです。人間としての存在価値はありません。でもそれが、中国武術を滅ぼすことに気付きません。
*元々、武術(うーしゅう) は、民間のものです。それを官が拾い上げて、新スポーツとしました。長拳も二十四式太極拳も、官が作りました。元は民間だから、体育運動学校でも、武術の地位は低いのです。欧米系スポーツに、武術は差別されています。スポーツはイギリスの貴族の娯楽から発祥したのですから。差別された官の武術が、さらに民の武術を差別する構造です。
*表演武術は商売になりません。オリンピック種目にもなれません。中国人にも飽きられています。底が見えてしまったのです。太極拳は外国人に大いに受けました。一部の陳式太極拳や八極拳は、外国人相手に成功しました。他の拳種は、まあそれなりにショボショボです。
*1980年代、破壊と殺戮の時代(文化大革命) は終わったのに、多くの民間武術家は、自らの技術を伝えることなく、墓場へと消えました。官から顧みられることもなく、評価されることもなく、技術を伝える情熱も失せて、その技を墓場へと運んだのです。それからも、その傾向は変わりません。中国武術は緩慢な死を迎えるのです。
*武術を学んでも金にはなりません。将来はガードマン? 金持ちの用心棒? あるいは映画スター? それは順序が逆です。映画スターあるいはその卵が、演技の幅を広げる小さな一つとして、武術を習うケースもまれにある、ということです。まれ、です、あくまで。
*中国は完全な資本主義帝国となりました。金が全て、です。金にならない武術なんぞ、見向きもされません。まして、官でもない民の武術なんて、滅びて当然です。健康法? それなら散歩で十分です。飽きたらヨーガでもやればいいのです。ノルディック・ウォークもあります。
*日本の事情は違います。あくまで、趣味として武術をやるのです。金にはならないことを十分承知して、趣味武術をやるのです。だからこれから、中国武術の本場は日本になります。
*でもまだ秘伝幻想があります。騙されたい人々も、たくさんいます。秘伝幻想から解放された時、自由になった日本は、完全に中国武術の本場になるでしょう。
*仕事が忙しく、練習に通えなくなることもあります。リストラされて武術どころではなくなることも。奥さんに禁止されることもあります。でも、様々な困難を乗り越えて、面白い趣味武術を続けていきましょう。
*武術愛好家のみなさんへ・・・おすすめの本です。
*太極拳や形意拳や八卦掌を育んだ、民国時代の老北京の匂いがプンプンとします。実際の著者は八卦掌の使い手でもあり、後半には八卦掌の話題も出てくるそうです。(購入したばかりなので、そこまで読んでいません。もちろん北京なので、回族心意六合拳の匂いは全くありません。)
「乾隆帝の幻玉」 (老北京骨董異聞) 劉一達、多田麻美訳、中央公論新社
帯より・・・
清国皇帝の遺物を巡り、宦官の夢、職人の面子、玉器の企みが十重二重に絡み合う。
玉器の発する妙音や 息遣いも鮮やかに、民国期のオールド北京が、ここに甦る !
きっかけは、若き日の著者が「労働改造」先の工場で出会ったある老骨董商の言葉だったーー「お前さんがこれを書くことができたらいいんだがな」。以来二十年余、奥深い玉器の世界に分け入り、玉器職人、清代の宦官、妓女、スパイ、人相見、水運び人など、最後の「老北京」たちへの膨大な取材を経て完成した大作。骨董の蘊蓄、北京の風俗、下町人情など、本国でも絶賛された豊富なディティールが、二読三読してなお新鮮な発見と圧倒的な読後感を約束する。
どうですか? なかなか面白そうでしょう。北京の胡同の匂いがしませんか? 胡同の奥深く、四合院で誰かが太極拳を練っている姿が見えます。
(関係無いけど、胡同の胡とは、モンゴル民族のことです。北京はモンゴル帝国の首都であり、モンゴル帝国が建設しました。)
*もう一冊、現代中国を理解するために欠かせない本です。中国の暗い戦後史。目をそらしてはいけません。陰惨な暗い社会に、現代中国武術は生まれたのです。
「黄土の道」(中華人民共和国 獄中二十六年) 今井欣之助、秀英書房
帯より・・・
母の待つ日本への帰国を許されず、国外脱出を計って「反革命罪」で投獄された著者が、解放後の中国で、みずからが経験し、目撃した、強制労働の苛酷な日々。中国人民解放軍の軍人として解放戦争に参加し、大躍進・文化大革命などの社会主義中国の激動の時代を生き抜いた一人の日本人が、新中国の混乱と抑圧された人間の姿を鋭く描く。
*これは面白いといったら語弊がありますが、興味深い本です。おいらも、天安門・血の日曜日事件の日、中国にいました。山西省太谷県で、宋光華先生に拝師した6月4日です。その日から、一週間、北京関係の報道が一切ありませんでした。その後、音声が消された映像が流れました。解放軍に追われた学生が、大学へ向かって撤退する姿でした。解放軍が撮影した、音声の無い(銃声が消された) 暗い映像でした。
*太極拳や形意拳や八卦掌を育んだ、民国時代の老北京の匂いがプンプンとします。実際の著者は八卦掌の使い手でもあり、後半には八卦掌の話題も出てくるそうです。(購入したばかりなので、そこまで読んでいません。もちろん北京なので、回族心意六合拳の匂いは全くありません。)
「乾隆帝の幻玉」 (老北京骨董異聞) 劉一達、多田麻美訳、中央公論新社
帯より・・・
清国皇帝の遺物を巡り、宦官の夢、職人の面子、玉器の企みが十重二重に絡み合う。
玉器の発する妙音や 息遣いも鮮やかに、民国期のオールド北京が、ここに甦る !
きっかけは、若き日の著者が「労働改造」先の工場で出会ったある老骨董商の言葉だったーー「お前さんがこれを書くことができたらいいんだがな」。以来二十年余、奥深い玉器の世界に分け入り、玉器職人、清代の宦官、妓女、スパイ、人相見、水運び人など、最後の「老北京」たちへの膨大な取材を経て完成した大作。骨董の蘊蓄、北京の風俗、下町人情など、本国でも絶賛された豊富なディティールが、二読三読してなお新鮮な発見と圧倒的な読後感を約束する。
どうですか? なかなか面白そうでしょう。北京の胡同の匂いがしませんか? 胡同の奥深く、四合院で誰かが太極拳を練っている姿が見えます。
(関係無いけど、胡同の胡とは、モンゴル民族のことです。北京はモンゴル帝国の首都であり、モンゴル帝国が建設しました。)
*もう一冊、現代中国を理解するために欠かせない本です。中国の暗い戦後史。目をそらしてはいけません。陰惨な暗い社会に、現代中国武術は生まれたのです。
「黄土の道」(中華人民共和国 獄中二十六年) 今井欣之助、秀英書房
帯より・・・
母の待つ日本への帰国を許されず、国外脱出を計って「反革命罪」で投獄された著者が、解放後の中国で、みずからが経験し、目撃した、強制労働の苛酷な日々。中国人民解放軍の軍人として解放戦争に参加し、大躍進・文化大革命などの社会主義中国の激動の時代を生き抜いた一人の日本人が、新中国の混乱と抑圧された人間の姿を鋭く描く。
*これは面白いといったら語弊がありますが、興味深い本です。おいらも、天安門・血の日曜日事件の日、中国にいました。山西省太谷県で、宋光華先生に拝師した6月4日です。その日から、一週間、北京関係の報道が一切ありませんでした。その後、音声が消された映像が流れました。解放軍に追われた学生が、大学へ向かって撤退する姿でした。解放軍が撮影した、音声の無い(銃声が消された) 暗い映像でした。
*武術は遊び、です。だから、武術に遊びます。
*おいらは、回族心意六合拳に遊びます。
*おいらは、宋氏形意拳に遊びます。
*遊びとは、芸能・芸術、ということです。
*あなたは、武術を、「真剣」にやりますか?
*もしも、真剣に、武術をやるならば・・・
刀剣を・・・
拳銃を・・・
自動小銃を・・・
毒薬を・・・学習研究して実用化しましょう。
それが、「殺人術」としての武術の正しいあり方、です。
さらには、毒ガス、も加えるといいでしょう。
武術を「真剣」にやれば、それは殺人術となります。それが、原初の姿、です。「北京原人は、洞窟に住みついていた野生の動物と戦い、これを皆殺しにした。次に、彼らは仲間と戦いこれを喰った」・・・{ 世界残酷物語・下巻 272ページ }
*殺人術をもっと拡大してみましょう。
*旧日本軍の731部隊は、細菌兵器を研究・開発して、細菌爆弾を実際に落としました。実験用の生きた人体は、マルタ、と称して、テキトーに拉致してきたそうです。
*アメリカ政府は、原爆を研究・開発して、ヒロシマ・ナガサキに落として、人体実験しました。戦後は、自国の兵士たちを原爆の人体実験に利用しました。
*オウム真理教は、サリンを研究・開発して、実際に大量殺人を実行しました。
*え? 武術と関係ない? そんなことはありません。これが殺人術としての武術の行き着く先、なのです。武術の暗黒面です(笑) 。オウム関係者が、意拳や八極拳を研究したという話もありました。虎鷹拳院にも、以前、オウム関係者が来たことがあります。わざと辛い練習をやらせたら、逃げ出しましたけど(笑) 。
*あなたは、武術を、「真剣」に、やりますか? それならば・・・
@ おすすめ本です。全ての武術愛好家へ・・・ヒトは、なぜ、ヒトを殺すのか?
{ 世界残酷物語・上下} コリン・ウィルソン著、関口篤訳、青土社
上巻の帯・・・権力誇示の殺戮、皇帝カリギュラ、ネロ、チンギスハン、チューザレ・ボルジアからスターリン、ヒットラーまで
世界の歴史とは、「血塗られた」英雄たちの系譜だったのか !
下巻の帯・・・快楽としての殺人 <快楽> だけで殺人に走れる人類は、破壊された本能の持ち主なのか。 テロリズムからセックス殺人まで、残虐行為の背後にひそむ<人間> 存在の深層を抉る !
*おいらは、回族心意六合拳に遊びます。
*おいらは、宋氏形意拳に遊びます。
*遊びとは、芸能・芸術、ということです。
*あなたは、武術を、「真剣」にやりますか?
*もしも、真剣に、武術をやるならば・・・
刀剣を・・・
拳銃を・・・
自動小銃を・・・
毒薬を・・・学習研究して実用化しましょう。
それが、「殺人術」としての武術の正しいあり方、です。
さらには、毒ガス、も加えるといいでしょう。
武術を「真剣」にやれば、それは殺人術となります。それが、原初の姿、です。「北京原人は、洞窟に住みついていた野生の動物と戦い、これを皆殺しにした。次に、彼らは仲間と戦いこれを喰った」・・・{ 世界残酷物語・下巻 272ページ }
*殺人術をもっと拡大してみましょう。
*旧日本軍の731部隊は、細菌兵器を研究・開発して、細菌爆弾を実際に落としました。実験用の生きた人体は、マルタ、と称して、テキトーに拉致してきたそうです。
*アメリカ政府は、原爆を研究・開発して、ヒロシマ・ナガサキに落として、人体実験しました。戦後は、自国の兵士たちを原爆の人体実験に利用しました。
*オウム真理教は、サリンを研究・開発して、実際に大量殺人を実行しました。
*え? 武術と関係ない? そんなことはありません。これが殺人術としての武術の行き着く先、なのです。武術の暗黒面です(笑) 。オウム関係者が、意拳や八極拳を研究したという話もありました。虎鷹拳院にも、以前、オウム関係者が来たことがあります。わざと辛い練習をやらせたら、逃げ出しましたけど(笑) 。
*あなたは、武術を、「真剣」に、やりますか? それならば・・・
@ おすすめ本です。全ての武術愛好家へ・・・ヒトは、なぜ、ヒトを殺すのか?
{ 世界残酷物語・上下} コリン・ウィルソン著、関口篤訳、青土社
上巻の帯・・・権力誇示の殺戮、皇帝カリギュラ、ネロ、チンギスハン、チューザレ・ボルジアからスターリン、ヒットラーまで
世界の歴史とは、「血塗られた」英雄たちの系譜だったのか !
下巻の帯・・・快楽としての殺人 <快楽> だけで殺人に走れる人類は、破壊された本能の持ち主なのか。 テロリズムからセックス殺人まで、残虐行為の背後にひそむ<人間> 存在の深層を抉る !
*以前は石けんがたくさんありました。え? なんのこっちゃ? 日本の太極拳の黎明期を生きた柏木徳二さんが、盆暮れに送ってくれていました。日本武道館を拠点としていた日本太極拳協会に所属していて、その分裂と解散以後は、全日本太極拳協会(中野春美先生主宰) に所属していました。本人は、ただ、太極拳を楽しむだけの人で、野心のかけらも無い人でした。なぜか、おいらを陰から応援してくれていました。もう亡くなって久しいですけど、多量の石けんがありました。それも無くなりました。優しい人でした。ありがとうございます。・・・生まれては死ぬるなりけり、おしなべて(一休道歌)・・・
*拳杯をやっていた頃は、それぞれの団体が繁栄して、中国武術全体が発展することを期待していました(極小世界ですから) 。 でも、どうも覇権主義と誤解されていたようです。今は、誤解される要素が一つ減りました。これからも、誤解されることの無いように、北京や台湾と一切交流することなく、草武術の道を歩んで行くことを、柏木徳二さんの墓前に誓います。(草武術に賛同してくれる団体とは、交流したいと希望しています。そのうち、草武術演武大会を開いて、みんなでヘタクソな演武して遊びたいと想います。え? ヘタクソなのはお前だけだ? どうもすいません、アハハ。最後の拳杯では、馬鹿馬鹿しくなって演武やりませんでした。それで、演武だけで大会開くつもりです。)
*柏木さんの柏の字は、木に百、です。でも見つかりませんでした。中日大辞典(愛知大学、大修館書店) を見ると、柏の異体字だそうです。国語辞典があるはずなんですけど(笑) 。おいらの中日大辞典、かなりボロボロになりました。今日は誕生日なので、神田の内山書店へ行って、自分で自分にプレゼントします(涙) 。中日辞典、いろいろありますけど、やっぱり、愛知大学の中日大辞典が最高です。
*回族心意六合拳の鶏形搖閂把(ヨウサンバ) には、鶏歩と弓歩の他に、独立歩の単練法があります。この独立歩、要するに未完成鶏歩のことです。独立歩の単練法は、他に馬形鑽拳があります。鑽拳なんですけど、形意拳と違って、真っすぐ撃ちます。でも、腕の伸縮がありません。これらを練習すると、後ろ足勁力とは、片足勁力だと理解できます。この独立歩=未完成鶏歩、昔、おいら浮きまくっていました。落ち着いてできるようになると、勁力が出てきます。で、新入会員にもさっそく教えてみました。これが撃てるようになると、楽しいですよ。他にも様々に応用できます。
*拳杯をやっていた頃は、それぞれの団体が繁栄して、中国武術全体が発展することを期待していました(極小世界ですから) 。 でも、どうも覇権主義と誤解されていたようです。今は、誤解される要素が一つ減りました。これからも、誤解されることの無いように、北京や台湾と一切交流することなく、草武術の道を歩んで行くことを、柏木徳二さんの墓前に誓います。(草武術に賛同してくれる団体とは、交流したいと希望しています。そのうち、草武術演武大会を開いて、みんなでヘタクソな演武して遊びたいと想います。え? ヘタクソなのはお前だけだ? どうもすいません、アハハ。最後の拳杯では、馬鹿馬鹿しくなって演武やりませんでした。それで、演武だけで大会開くつもりです。)
*柏木さんの柏の字は、木に百、です。でも見つかりませんでした。中日大辞典(愛知大学、大修館書店) を見ると、柏の異体字だそうです。国語辞典があるはずなんですけど(笑) 。おいらの中日大辞典、かなりボロボロになりました。今日は誕生日なので、神田の内山書店へ行って、自分で自分にプレゼントします(涙) 。中日辞典、いろいろありますけど、やっぱり、愛知大学の中日大辞典が最高です。
*回族心意六合拳の鶏形搖閂把(ヨウサンバ) には、鶏歩と弓歩の他に、独立歩の単練法があります。この独立歩、要するに未完成鶏歩のことです。独立歩の単練法は、他に馬形鑽拳があります。鑽拳なんですけど、形意拳と違って、真っすぐ撃ちます。でも、腕の伸縮がありません。これらを練習すると、後ろ足勁力とは、片足勁力だと理解できます。この独立歩=未完成鶏歩、昔、おいら浮きまくっていました。落ち着いてできるようになると、勁力が出てきます。で、新入会員にもさっそく教えてみました。これが撃てるようになると、楽しいですよ。他にも様々に応用できます。
*拝師(バイシー) は廃止すべきです。え? くだらないダジャレ言うな! どうもすいません。でも、まだ帰らないでね。おいらのことを、加齢臭がきつい、とか、アホアホマン、とか、極悪パンダ、とか自分のブログで罵っていた元会員がいました。まあ、ドアホなことは認めます。でも匿名であってもブログでやると個人が特定されてしまうので、止めたほうがいいです。(元会員といっても、当時は虎鷹拳院ではありませんでした。娘が生まれる前後の頃です。)
*その彼が現在、戴氏心意拳を修練しているそうです。で、高名な先生に拝師したいけど、望み薄、みたいなことを述べていました。その高名な先生は、拝師する学生を選別するそうです。でも、拝師なんて、中国の悪しき風習です。そんなものは、内家三拳や陰陽五行説と同じ迷信です。いっしょにゴミ箱へ捨てましょう。
*拝師すれば秘伝を教えてもらえて上手くなれる、強くなれる、なんてことは一切ありません。拝師すれば、その一族に連なって同族になれた、ような自己満足は得られます。でも、それだけです。別に上手くなれるわけでもありません。上手くなるには、自分の努力だけです。他には頼れるものはありません。もしも上手くなれたら、先生のほうから手放したくなくなり、拝師しよう、と言い出すでしょう。言い出さなくても、どうでもいいです。自分が進歩した、という確信があれば、自信になります。
*おいらは、山西省大谷県で、宋光華先生に拝師させてもらいました。でも、それは初めての外国人へのサービスでした。普通は3年以上経過しないと、拝師させてもらえないそうです。でも、特別サービスであっても、おいらには異国文化に触れる楽しい体験でした。拝師式の前には、さまざまな系統の先生が、中庭で演武してくれました。(さまざまな系統といっても、みんな宋氏形意拳です。)
*でも、それからは苦難の道でした。宋氏形意拳が全く撃てないのです。おいらの崩拳、小学生も倒れてくれないことだけは、明白でした。最近自信ができたので、古武道の演武会で、進退聯環をやってみました。
*定歩での五行拳の徹底、そして六合歩の完全後ろ足荷重から未来が見えてきました。(拙著、発勁力、の頃は不十分でした。) さらに心意六合拳を研究してみて、宋氏形意拳の中に、隠れ鶏行歩があることを発見したのです。これは自分の中では、画期的発見でした。趙川輝先生は、この隠れ鶏行歩を自然に使いこなしています。でも、宋光華先生の弟子の中には、全く下手な人もいます。宋光華先生は優しい性格なので、お前は駄目だ、などと言いません。 (彼は一生駄目でしょう。)
*おいらは心意六合拳の先生に、ボロクソに言われたこともありました。荷物まとめて日本に帰ろうかなあ、と思ったこともあります。でもそれは、おいらのことを心配してくれていたから、なのです。このままではどうしようもないよ、と忠告してくれたのです。
*どうして拝師の制度が発生したのでしょうか。それは、裏切りの歴史からです。水滸伝を見ても、三国志演義を見ても、戦国策を見ても、騙しと裏切りの物語です。武術の門派流派を見ても、常に裏切りが横行しています。先生に習ったら、もう先生は用が無いので、ポイ捨てします。自分で新しい門派、あるいは会派を作ればいいんです。系譜のねつ造も日常茶飯事です。宋鉄麟の名前を乱用して系譜をねつ造した在日中国人を非難したおいらは、上海体育学院の邱先生に叱られました。そんなことは中国ではいつも普通にあることだから、問題にしてはいけません、ということです。むしろ、そんなことで恨みを買ったら、自分が不利になります。
*永遠の愛を誓っても、将来は未定です。結婚式やっても、どうなるか分かりません。人間関係なんて、もろいものです。そのために、拝師ができました。でも、やっぱり人間関係はもろいし、裏切りもありるし、仲違いもあるし、トラブルもあります。
*だったら、拝師なんて廃止しましょう。別れなければ、一生夫婦でいましょう。でも、別れるかもしれません。それはそれでいいではありませんか。
*その彼が現在、戴氏心意拳を修練しているそうです。で、高名な先生に拝師したいけど、望み薄、みたいなことを述べていました。その高名な先生は、拝師する学生を選別するそうです。でも、拝師なんて、中国の悪しき風習です。そんなものは、内家三拳や陰陽五行説と同じ迷信です。いっしょにゴミ箱へ捨てましょう。
*拝師すれば秘伝を教えてもらえて上手くなれる、強くなれる、なんてことは一切ありません。拝師すれば、その一族に連なって同族になれた、ような自己満足は得られます。でも、それだけです。別に上手くなれるわけでもありません。上手くなるには、自分の努力だけです。他には頼れるものはありません。もしも上手くなれたら、先生のほうから手放したくなくなり、拝師しよう、と言い出すでしょう。言い出さなくても、どうでもいいです。自分が進歩した、という確信があれば、自信になります。
*おいらは、山西省大谷県で、宋光華先生に拝師させてもらいました。でも、それは初めての外国人へのサービスでした。普通は3年以上経過しないと、拝師させてもらえないそうです。でも、特別サービスであっても、おいらには異国文化に触れる楽しい体験でした。拝師式の前には、さまざまな系統の先生が、中庭で演武してくれました。(さまざまな系統といっても、みんな宋氏形意拳です。)
*でも、それからは苦難の道でした。宋氏形意拳が全く撃てないのです。おいらの崩拳、小学生も倒れてくれないことだけは、明白でした。最近自信ができたので、古武道の演武会で、進退聯環をやってみました。
*定歩での五行拳の徹底、そして六合歩の完全後ろ足荷重から未来が見えてきました。(拙著、発勁力、の頃は不十分でした。) さらに心意六合拳を研究してみて、宋氏形意拳の中に、隠れ鶏行歩があることを発見したのです。これは自分の中では、画期的発見でした。趙川輝先生は、この隠れ鶏行歩を自然に使いこなしています。でも、宋光華先生の弟子の中には、全く下手な人もいます。宋光華先生は優しい性格なので、お前は駄目だ、などと言いません。 (彼は一生駄目でしょう。)
*おいらは心意六合拳の先生に、ボロクソに言われたこともありました。荷物まとめて日本に帰ろうかなあ、と思ったこともあります。でもそれは、おいらのことを心配してくれていたから、なのです。このままではどうしようもないよ、と忠告してくれたのです。
*どうして拝師の制度が発生したのでしょうか。それは、裏切りの歴史からです。水滸伝を見ても、三国志演義を見ても、戦国策を見ても、騙しと裏切りの物語です。武術の門派流派を見ても、常に裏切りが横行しています。先生に習ったら、もう先生は用が無いので、ポイ捨てします。自分で新しい門派、あるいは会派を作ればいいんです。系譜のねつ造も日常茶飯事です。宋鉄麟の名前を乱用して系譜をねつ造した在日中国人を非難したおいらは、上海体育学院の邱先生に叱られました。そんなことは中国ではいつも普通にあることだから、問題にしてはいけません、ということです。むしろ、そんなことで恨みを買ったら、自分が不利になります。
*永遠の愛を誓っても、将来は未定です。結婚式やっても、どうなるか分かりません。人間関係なんて、もろいものです。そのために、拝師ができました。でも、やっぱり人間関係はもろいし、裏切りもありるし、仲違いもあるし、トラブルもあります。
*だったら、拝師なんて廃止しましょう。別れなければ、一生夫婦でいましょう。でも、別れるかもしれません。それはそれでいいではありませんか。
*後ろ足勁力の検証方法について紹介します。先日、柔剣雷心会演武会の懇親会で遊んだ方法です。これはあくまで検証方法なので、打撃ではありません。まあ、お座敷芸なので、あまり熱くならないでください(笑) 。
*後ろ足荷重の六合歩で立ちます。宋氏形意拳の三体式です。体重は、下腿三頭筋と内側広筋で支えます。後ろ足は小アーチで地面と接しています。踵は浮いてはいませんが、体重は乗っていません。フワ~と地面と接しています。この時、少し前傾しますと、後ろ足の大腿直筋に体重が乗ってしまいます。こうなると前足勁力となってしまいます。後ろ足勁力の観点からいうと、体重移動完了と見なします。
*相手に寄りかかってもらい、片手で支えます。片手は伸びきっていません。曲げておきます。この時、腕はつっかえ棒です。それ以上の意味を持たせません。ゆっくり腕を伸ばしながら、押します。体重移動は絶対してはいけません。後ろ足荷重そのままです。
*腕力には頼ってはいけません。腕力を使うと、相手の皮膚に痛感が残ります。あくまで、やわらかく押します。フクラハギだけ使って押す、感覚です。もちろん、姿勢はそのままなので、後ろ足が伸びることはありません。
*体重移動無しで、やわらかく、腕力を使わず、押します。使うのは下腿三頭筋ですが、それも外面的にはそのままの状態です。
*そんなことができるのか? できてしまうのが、後ろ足勁力です。つまり、下腿三頭筋の起動力を継続させるのです。一般的なスポーツ、例えば100m競技でも、起動力は下腿三頭筋です。でもそれは起動する力で、すぐに後ろ足は伸びて、大腿四頭筋へ移行します。つまり、地面を蹴ります。
*後ろ足勁力の場合、地面を蹴りません。下腿三頭筋の起動力を、ずうーと継続させて、主要に使います。大腿四頭筋へ移行しないのです。これは合理的ではありません。少なくとも、スポーツには向きません。
*後ろ足勁力による走り、つまり鶏行歩ランニングでも、慣れてくるとかなり速く走れます。それでも、陸上競技のようには速く走れません。後ろ足ウォーキングも、かなり速く歩けますが、競歩には絶対敵いません。では、長距離ではどうでしょうか。これも筋肉負荷が大きすぎるので、すぐに疲れてしまいます。スポーツ向きではありません。
*動的なスポーツには向いていません。これは、慣性力を消す性質があるからです。動作は一つで終わり、次の動作へ繋げません。静的な動作には、応用できるかもしれません。野球のバッティングやゴルフには応用可能かもしれません。
*だいたい、六合歩(宋氏形意拳) と鶏歩(心意六合拳)で立っているだけ、なんてスポーツ的ではありません。爽やかではありません(笑)。
*後ろ足荷重の六合歩で立ちます。宋氏形意拳の三体式です。体重は、下腿三頭筋と内側広筋で支えます。後ろ足は小アーチで地面と接しています。踵は浮いてはいませんが、体重は乗っていません。フワ~と地面と接しています。この時、少し前傾しますと、後ろ足の大腿直筋に体重が乗ってしまいます。こうなると前足勁力となってしまいます。後ろ足勁力の観点からいうと、体重移動完了と見なします。
*相手に寄りかかってもらい、片手で支えます。片手は伸びきっていません。曲げておきます。この時、腕はつっかえ棒です。それ以上の意味を持たせません。ゆっくり腕を伸ばしながら、押します。体重移動は絶対してはいけません。後ろ足荷重そのままです。
*腕力には頼ってはいけません。腕力を使うと、相手の皮膚に痛感が残ります。あくまで、やわらかく押します。フクラハギだけ使って押す、感覚です。もちろん、姿勢はそのままなので、後ろ足が伸びることはありません。
*体重移動無しで、やわらかく、腕力を使わず、押します。使うのは下腿三頭筋ですが、それも外面的にはそのままの状態です。
*そんなことができるのか? できてしまうのが、後ろ足勁力です。つまり、下腿三頭筋の起動力を継続させるのです。一般的なスポーツ、例えば100m競技でも、起動力は下腿三頭筋です。でもそれは起動する力で、すぐに後ろ足は伸びて、大腿四頭筋へ移行します。つまり、地面を蹴ります。
*後ろ足勁力の場合、地面を蹴りません。下腿三頭筋の起動力を、ずうーと継続させて、主要に使います。大腿四頭筋へ移行しないのです。これは合理的ではありません。少なくとも、スポーツには向きません。
*後ろ足勁力による走り、つまり鶏行歩ランニングでも、慣れてくるとかなり速く走れます。それでも、陸上競技のようには速く走れません。後ろ足ウォーキングも、かなり速く歩けますが、競歩には絶対敵いません。では、長距離ではどうでしょうか。これも筋肉負荷が大きすぎるので、すぐに疲れてしまいます。スポーツ向きではありません。
*動的なスポーツには向いていません。これは、慣性力を消す性質があるからです。動作は一つで終わり、次の動作へ繋げません。静的な動作には、応用できるかもしれません。野球のバッティングやゴルフには応用可能かもしれません。
*だいたい、六合歩(宋氏形意拳) と鶏歩(心意六合拳)で立っているだけ、なんてスポーツ的ではありません。爽やかではありません(笑)。
*横浜の関帝廟へ行くと、観世音菩薩まで祀られています。ご利益があればなんでもいいのです。インド仏教も中国へ行くと、儒教と妥協して先祖崇拝と現世主義へ変貌していきます。そうしなければ生き残れなかったのです。儒教が徹底した現実主義であることは、広く認識されています。これを金文学は、「中国には宗教が無い」と結論します。
*内家三拳信者は、儒仏道がどうしたこうしたと騒いでいますが、現状はこんなものです。でも、それでよかったのかもしれません。こうした中国の思想・宗教から武術が生まれたとしたら、それは武術の貧困となったことでしょう。武術はあくまで実技ですから、思想・宗教に縛られる存在ではありません。心意六合拳と形意拳が動物拳として発展したことは、幸いでした。(形意拳はだんだん動物拳の色彩が薄れていきますが、田舎に残った宋氏形意拳にはまだ動物の匂いが残っています。)
*さて、文字の無かった日本に漢字が伝わりました。それを日本人は中国語で読まずに、訓読みを発明しました。日本語に当てはめてしまいました。これは画期的なことでした。同じように漢字を導入した朝鮮・韓国では、ついに訓読みは発生しませんでした。訓読み、そして中国語そのものではない音読みを組み合わせて、漢字は国語となったのです。さらに、万葉仮名の発明から、ひらがな・カタカナの発明へと発展します。こうして日本語は、豊富で繊細な表現力を獲得していきました。
*松岡正剛は語ります。・・・僧侶や官吏にとっての経典や公式文書として、あるいは文人の嗜みとしては漢詩漢文を表現することは一部で継続されていったのですが、それらは日本の歴史と日本語の歴史の全貌を覆わなかったのです。
つまり、日本人は中国語をけっして話そうとはしなかったのです。今日の日本人が英語を英語として話しているようには、中国語も漢字もつかわなかったのです。そのくせ、漢字の音に似た音読をし、それとは別に日本人が古来つかってきた言葉の意味にもとづいた発音をそこに二重にかぶせていったのです。
これは考えてみれば、まことに奇妙なことでした。いったい、どういうことがおこっていたのか。・・・「白川静 漢字の世界観」松岡正剛、平凡社新書
*どういうことがおこっていたのか、は、平凡社新書を読んでください。漢字へ戻って、白川静に語ってもらいましょう。
・・・漢字を借りもののように思うことが、根本の誤りである。古代オリエントに発する文字を、いまアルファベットとして用いるものが、それは借りものとは考えないように、漢字を音訓の方法で用いるのは、決して借りものの用法ではない。漢字は音訓の用法において国字である。・・・(漢字百話)
*中国武術は日本語で語るべき、というおいらの主張、お分かりいただけたでしょうか。役に立たない中国の勁論に対して、後ろ足勁力は、実技に徹しています。
*内家三拳信者は、儒仏道がどうしたこうしたと騒いでいますが、現状はこんなものです。でも、それでよかったのかもしれません。こうした中国の思想・宗教から武術が生まれたとしたら、それは武術の貧困となったことでしょう。武術はあくまで実技ですから、思想・宗教に縛られる存在ではありません。心意六合拳と形意拳が動物拳として発展したことは、幸いでした。(形意拳はだんだん動物拳の色彩が薄れていきますが、田舎に残った宋氏形意拳にはまだ動物の匂いが残っています。)
*さて、文字の無かった日本に漢字が伝わりました。それを日本人は中国語で読まずに、訓読みを発明しました。日本語に当てはめてしまいました。これは画期的なことでした。同じように漢字を導入した朝鮮・韓国では、ついに訓読みは発生しませんでした。訓読み、そして中国語そのものではない音読みを組み合わせて、漢字は国語となったのです。さらに、万葉仮名の発明から、ひらがな・カタカナの発明へと発展します。こうして日本語は、豊富で繊細な表現力を獲得していきました。
*松岡正剛は語ります。・・・僧侶や官吏にとっての経典や公式文書として、あるいは文人の嗜みとしては漢詩漢文を表現することは一部で継続されていったのですが、それらは日本の歴史と日本語の歴史の全貌を覆わなかったのです。
つまり、日本人は中国語をけっして話そうとはしなかったのです。今日の日本人が英語を英語として話しているようには、中国語も漢字もつかわなかったのです。そのくせ、漢字の音に似た音読をし、それとは別に日本人が古来つかってきた言葉の意味にもとづいた発音をそこに二重にかぶせていったのです。
これは考えてみれば、まことに奇妙なことでした。いったい、どういうことがおこっていたのか。・・・「白川静 漢字の世界観」松岡正剛、平凡社新書
*どういうことがおこっていたのか、は、平凡社新書を読んでください。漢字へ戻って、白川静に語ってもらいましょう。
・・・漢字を借りもののように思うことが、根本の誤りである。古代オリエントに発する文字を、いまアルファベットとして用いるものが、それは借りものとは考えないように、漢字を音訓の方法で用いるのは、決して借りものの用法ではない。漢字は音訓の用法において国字である。・・・(漢字百話)
*中国武術は日本語で語るべき、というおいらの主張、お分かりいただけたでしょうか。役に立たない中国の勁論に対して、後ろ足勁力は、実技に徹しています。
*中国伝統思想の本質、ここは中国瀋陽出身の金文学先生に登場してもらおう。
・・・西洋人と比較して、中国人の、愛、恨み、喜び、悲しみ、哀れのような感性表現は、特別に発達しているといえるが、論理的思考は未熟だ。
中国が誇る四千年の歴史の中で、厳密な意味合いでの思想家は、一人も誕生していない。すると、「いや違う。老子、孔子や、諸子百家といわれた膨大な数の思想家がいるではないか」と反論する人がいるだろう。
しかし、これまでにも述べてきたように、彼らの思考は人間の倫理道徳を、格言的断片的言葉で並べたのがほとんどで、西洋レベルの論理的、理性的思考に欠けている。
「道徳経(老子) 」には格言名言が多いが、系統的思想書ではない。「論語」も基本的には人間の倫理観を物語形式で綴ったにすぎない。つまり人生哲学はあっても、西洋的「思想家」「哲学者」「科学者」を養成するのではなく、簡単な言葉で人生の生き方を解釈した内容に留まっている。
ヘーゲルが喝破したように「中国人には哲学が存在しない」(「歴史哲学講義」)。中国人に哲学はむろん、思想も存在しない原因は、その論理的思考の欠如である。中国の知識人は、思考法の規律、原理など考えもしなかったし、持っていたのは、一種の独断的直感のみである。
老子の有名な言葉に「道可道、非常道」というのがある。これははっきりいえる道理は、永遠なる道理ではない、という意味である。中国人にとって真理とは、はっきり言えるものではないということである。元来、真理と科学的道理は、はっきり言えなければ道理ではない。はっきりと明確に表現するのが真理であるのに、中国人の思惟は、その方向に向かっていない。
本来であれば、科学、歴史、社会に対する認識や解釈も、厳密な理性思考に依存しなければならないのに、中国人は文学的感性(暗示、比喩、格言) で感情的、直感的に捉える。・・・「混の中国人」金文学、祥伝社
*老子は、戦国時代の中で、滅び行く村落共同体を郷愁をもって語る、というような意味を白川静が「孔子伝」の中で語っていました。そんな社会的視点がおいらには欠落していたので、びっくりして武術雑誌で紹介したけど、全く反響がありませんでした。その白川静によって、訓読み中国武術を発想しました。(つづく)
・・・西洋人と比較して、中国人の、愛、恨み、喜び、悲しみ、哀れのような感性表現は、特別に発達しているといえるが、論理的思考は未熟だ。
中国が誇る四千年の歴史の中で、厳密な意味合いでの思想家は、一人も誕生していない。すると、「いや違う。老子、孔子や、諸子百家といわれた膨大な数の思想家がいるではないか」と反論する人がいるだろう。
しかし、これまでにも述べてきたように、彼らの思考は人間の倫理道徳を、格言的断片的言葉で並べたのがほとんどで、西洋レベルの論理的、理性的思考に欠けている。
「道徳経(老子) 」には格言名言が多いが、系統的思想書ではない。「論語」も基本的には人間の倫理観を物語形式で綴ったにすぎない。つまり人生哲学はあっても、西洋的「思想家」「哲学者」「科学者」を養成するのではなく、簡単な言葉で人生の生き方を解釈した内容に留まっている。
ヘーゲルが喝破したように「中国人には哲学が存在しない」(「歴史哲学講義」)。中国人に哲学はむろん、思想も存在しない原因は、その論理的思考の欠如である。中国の知識人は、思考法の規律、原理など考えもしなかったし、持っていたのは、一種の独断的直感のみである。
老子の有名な言葉に「道可道、非常道」というのがある。これははっきりいえる道理は、永遠なる道理ではない、という意味である。中国人にとって真理とは、はっきり言えるものではないということである。元来、真理と科学的道理は、はっきり言えなければ道理ではない。はっきりと明確に表現するのが真理であるのに、中国人の思惟は、その方向に向かっていない。
本来であれば、科学、歴史、社会に対する認識や解釈も、厳密な理性思考に依存しなければならないのに、中国人は文学的感性(暗示、比喩、格言) で感情的、直感的に捉える。・・・「混の中国人」金文学、祥伝社
*老子は、戦国時代の中で、滅び行く村落共同体を郷愁をもって語る、というような意味を白川静が「孔子伝」の中で語っていました。そんな社会的視点がおいらには欠落していたので、びっくりして武術雑誌で紹介したけど、全く反響がありませんでした。その白川静によって、訓読み中国武術を発想しました。(つづく)
中国武術は、中国語で考察してはいけません。中国武術は日本語で考察すべきです。それが、「訓読み中国武術」ということです。
*オイオイ、北京や台湾の武術権威に全く相手にされないインチキ武術家藤松が、インチキ理論を展開しているぞ。ヤケクソかい。
*そんなことはありませんぜ、旦那。おいら、生涯「草武術」ですから。武術権力世界なんぞに興味はありません。勝手にやってください。おいらも勝手に生きて、勝手に死んでいきますから。
*中国武術の勁論、たくさんあります。中国武術大辞典に60個位、ほかの本には100個以上、あるそうです。でも、ほとんど役に立ちません。なぜでしょうか。それは、勁論が全て、直感的印象、だからです。論理的なものはありません。中には、技の名称に勁を付けて「なんとか勁」とか称しています。アホかあ、としか言いようがありません。わずかに、沈墜勁・纏絲勁・十字勁が分かりやすいですが、これらとて直感的印象論に過ぎません。これは中国人の怠慢ではありません。それは運命的なものです。中国学者の加地伸行が喝破しています、「中国語は分類語であって、分析語ではない」と。
*日本の太極拳教室では、中国語で挨拶させるところがあります。こんにちわ、こんばんわ、と言えばいいものを、ラオシーハオ(老師好) と言わせたりします。実に滑稽な風景です。ここは日本なのだから、日本語で挨拶すべきです。これは些細なことのようですが、本質的問題を孕んでいます。
*・・・漢字は象形文字による表意文字であるがため、文字一個一個がある種の意味や多元的意味を持つ。漢語(漢文) というのは、語尾の変化がなく厳格明瞭たる助詞もなく、一定の語順で単語(あるいは文字) を並べるだけである。体系的文法というのが漢文には備わっていない。・・・「混の中国人」金文学、祥伝社
*後ろ足勁力理論が日本で生まれて中国に存在していないことは、必然的なことでした。それは中国語が論理的思考に適していないからです。日本語を使用する日本人が、中国の勁論を有り難がるのは、実に滑稽で哀れな光景です。そんなものはゴミなのですから。
*中国武術は、中国の伝統思想から生まれた、と主張する日本人がいます。思想から武術が生まれたなんて、実にばかばかしいのですが、本気で信じているから可哀想です。武術に深い思想性はありません。高尚な思想はありません。それはなにより実技ですから。だからこそ、他から引っ張ってきたのです。でも、引っ張ってきたものも即物的であったために、できたものは貧弱なものでした。内家拳、内家三拳、内気、内功、太極、陰陽五行、全てゴミです。では、その伝統思想とは本質的にどのようなものでしょうか? (つづくのだ)
*オイオイ、北京や台湾の武術権威に全く相手にされないインチキ武術家藤松が、インチキ理論を展開しているぞ。ヤケクソかい。
*そんなことはありませんぜ、旦那。おいら、生涯「草武術」ですから。武術権力世界なんぞに興味はありません。勝手にやってください。おいらも勝手に生きて、勝手に死んでいきますから。
*中国武術の勁論、たくさんあります。中国武術大辞典に60個位、ほかの本には100個以上、あるそうです。でも、ほとんど役に立ちません。なぜでしょうか。それは、勁論が全て、直感的印象、だからです。論理的なものはありません。中には、技の名称に勁を付けて「なんとか勁」とか称しています。アホかあ、としか言いようがありません。わずかに、沈墜勁・纏絲勁・十字勁が分かりやすいですが、これらとて直感的印象論に過ぎません。これは中国人の怠慢ではありません。それは運命的なものです。中国学者の加地伸行が喝破しています、「中国語は分類語であって、分析語ではない」と。
*日本の太極拳教室では、中国語で挨拶させるところがあります。こんにちわ、こんばんわ、と言えばいいものを、ラオシーハオ(老師好) と言わせたりします。実に滑稽な風景です。ここは日本なのだから、日本語で挨拶すべきです。これは些細なことのようですが、本質的問題を孕んでいます。
*・・・漢字は象形文字による表意文字であるがため、文字一個一個がある種の意味や多元的意味を持つ。漢語(漢文) というのは、語尾の変化がなく厳格明瞭たる助詞もなく、一定の語順で単語(あるいは文字) を並べるだけである。体系的文法というのが漢文には備わっていない。・・・「混の中国人」金文学、祥伝社
*後ろ足勁力理論が日本で生まれて中国に存在していないことは、必然的なことでした。それは中国語が論理的思考に適していないからです。日本語を使用する日本人が、中国の勁論を有り難がるのは、実に滑稽で哀れな光景です。そんなものはゴミなのですから。
*中国武術は、中国の伝統思想から生まれた、と主張する日本人がいます。思想から武術が生まれたなんて、実にばかばかしいのですが、本気で信じているから可哀想です。武術に深い思想性はありません。高尚な思想はありません。それはなにより実技ですから。だからこそ、他から引っ張ってきたのです。でも、引っ張ってきたものも即物的であったために、できたものは貧弱なものでした。内家拳、内家三拳、内気、内功、太極、陰陽五行、全てゴミです。では、その伝統思想とは本質的にどのようなものでしょうか? (つづくのだ)
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