ANA国内線【PR】

虎鷹拳院日誌<虎は爪を顕さず>

tigerhawk.exblog.jp トップ

カテゴリ:心意六合拳への道

  • 中国武術とは?その二
    [ 2006-01-25 23:03 ]
  • 中国武術とは?
    [ 2006-01-24 22:40 ]
  • 心意六合拳への旅 その十三
    [ 2005-09-23 09:17 ]
  • 心意六合拳への旅 その十二
    [ 2005-09-15 21:57 ]
  • 心意六合拳への旅 その十一
    [ 2005-09-13 20:25 ]
  • 心意六合拳への旅  その十
    [ 2005-09-12 21:30 ]
  • 心意六合拳への旅  その九
    [ 2005-09-09 00:03 ]
  • 心意六合拳への旅  その八
    [ 2005-09-06 21:38 ]
  • 心意六合拳への旅  その七
    [ 2005-09-05 20:38 ]
  • 心意六合拳への旅  その六
    [ 2005-09-03 08:40 ]

中国武術とは?その二

*中国武術に深い影を落とす、心意六合拳や八極拳などの回族の武術。イスラームを信仰する回族は、モンゴル帝国の環境によって形成された。中国武術は、完結した中国社会の中で、特殊に発達したものだろうか。それは、中国伝統思想を元に発生し発達したものだろうか。それは、どのような環境の中で発生し発達したものだろうか。
・・再び、わが師匠杉山正明に語ってもらおう。
#・・安禄山の挙兵からモンゴル帝国の解体まで、六00年あまり。中華とユーラシアは、ともどもに大きく変わった。なにより、中華は巨大化した。かたや、ユーラシアは、陸と海の両方で[文明圏]の枠をこえてつながれ、システム化した。中華とユーラシアの連動は、歴々たる事実といわざるをえない。
#・・いいかえれば、中華は[閉ざされた世界]ではなかった。実は、もともとオープン・スペースであった中華は、この六00年余を通じて、よりあざやかに[開かれた世界]となった。唐初の瞬間的な[世界帝国]の前後においても、それは見られたが、[とき]を追って草原と中華を問わずボーダレスとなりゆき、ついに文字どおりの世界帝国モンゴルにいたって、ユーラシア全域はほぼオープン・スペースと化し、陸域と海域をはるかにこえた往来・交流が一気に開かれた。そして、それをささえる中核的な地域が、中華であったことは疑いをいれない。こうしたことは、中華の歴史を通じて、際立つ事態であったといわざるをえない。
#・・中華に蓄積されたさまざまな智慧・技術・方式は、その多くがモンゴル時代において、より一段と仕立てあげられたうえ、世界に発信・伝達された。よくいわれる火薬・火器・羅針盤・印刷などはもとより、紙幣運用、銀建て経済、産業型社会、海と航海の組織化、国家をこえた自由通商、さらにはようするに資本主義なるものも、このときに[世界化]を開始した。かたや、中東以西の知識や学術・思弁・ノウハウも、まとまって中華へ到来した。人類史と中国史は、あきらかにこの六00年余でステップ・アップした。
#・・人類史上で、第一回目のシステム統合がなされた[とき]であったといっていい。すなわちそれは、ユーラシア世界史のひとつの到達点であった。同時にまた、次なるグローバル化時代への扉をおしあけるものでもあった。
疾駆する草原の征服者(中国の歴史第8巻)講談社 杉山正明著より
by tiger-hawk | 2006-01-25 23:03 | 心意六合拳への道 | Comments(4)

中国武術とは?

*中国武術は、心意六合拳・形意拳・太極拳は、隔絶された中国社会の中で形成されたのだろうか? 八極拳や心意六合拳・査拳などの、少数民族とされる回族由来の武術・拳芸が、中国武術の中に色濃く影響力を及ぼしているのは何故なのか? 通備拳(翻子拳・劈卦拳・八極拳)もまた、回族馬氏によって整理・創始された。回族の形成過程には、大元ウルス(モンゴル帝国)の政治経済政策が、決定的な要因となっている。イラン高原からロシア、そして黄土平原に至るモンゴル帝国のことだ。黄河の向こうはモンゴル大草原だ。そこには、今日的国境などなかった。
・・・我が師匠・杉山正明は語る。
#・・従来[中国史]というと、[中国]という場のなかで、自己完結した姿・かたちで語られるのが、むしろふつうのことであったかもしれない。それが本当のことであれば、それでいい。だが、それは本当に本当か。
#・・そもそもここにおける[中国]とはなにか、また[漢族]とはなにかの問いは、根源的たらざるをえない。さらには、・・中略・・第二次キタイ帝国としての[西遼]の存在などは、中国正史に立脚する歴史理解の問題点を、わたくしたちに鋭く問いかけてくる。
#・・だが、なによりも十三-十四世紀のモンゴル世界帝国の出現は、[中国史]もユーラシア世界史の一員であることを否応なく示してやまない。これまで、ややもすれば、中華文明は地理上で他の文明世界と隔絶して存在し、発展してきたといわれがちであった。だが、それは本当だろうか。唐の[瞬間大帝国]状態や、文字どおりの世界帝国である大モンゴルをもちだすまでもなく、本書があつかう五00年ないし六00年の歴史の歩みの全体が、ユーラシアと[中国]とが、ともに多極化とそのはての大統合という変動のうねりのなかにいた紛れもない証左ではないのか。・・・
疾駆する草原の征服者(中国の歴史第8巻) 講談社 杉山正明著より
by tiger-hawk | 2006-01-24 22:40 | 心意六合拳への道 | Comments(2)

心意六合拳への旅 その十三

*朝、起きようとするが、身体が動かない。全身の筋肉がコチコチに固まってしまったようだ。鈍い痛みを我慢して、ベッドの中でもぞもぞしながら、少しずつ動かしてみる。ようやくベッドの外に這い出た。時計を見ると、30分かかってしまった。自分の身体はどうしてしまったのだろう。すぐに気がついた。昨晩の排打功だ。ともかく、ゆっくりストレッチ体操をしてみる。
*師匠が友達を3人ばかり連れてご帰還した。しばらくして料理が運ばれてきて、ビールが開けられた。トンソンも飲め、と勧められたので、久しぶりに口当たりのいい上海ビールを飲む。不思議なもので、上海語も少しばかり聞き取れるようになっている。毎日聞いていると、なんとなく分かってきた。まあ、時々は普通話(標準中国語)に翻訳してくれるけど。(上海語? 河内弁みたいなもんです、笑。実は、ハルピンあたりの中国語が一番きれいです。北京語? アルアルしてて好きにはなれない。)おいしい料理とビールですっかり酔っぱらっちまった。まあこれで今晩の稽古はパスだな、と一人ほくそ笑んでいた。師匠、{トンソンお互い酔ったな(ハイハイ)、30分休んで訓練だ} え? まだやる気だよ(涙)。
*師匠、{排打功を訓練する}。排打功か、昔、長春八極拳でやってたな、楽勝楽勝と想っていたら、とんだ勘違い。肩がガツーンと飛んできた。凄い衝撃だ。これは逃げたら怪我してしまう。こちらも思い切りぶつけてやる。心が萎えそうになるが、怪我したくないので、踏ん張る。腕・肩・肘・脇腹・腸骨・胸・腹・尻・背中、あらゆるところをぶつけてくる。長春八極拳の排打功より、はるかに全身を撃つ。やっと解放された時、翌日起きられなくなるとは予想できなかった。
by tiger-hawk | 2005-09-23 09:17 | 心意六合拳への道 | Trackback | Comments(17)

心意六合拳への旅 その十二

*「トンソン、なぜ武術の習得に十年もかかるか? 分かるか? 」 張克強師匠は言う。「なかなか教えてくれないからさ。お前には2年間でだいたい全て教え切るからな。」 (トンソンとはおいらのこと、トンソクではないので、くれぐれも間違いないように。)
*しかし、だいたいの単練法と套路を学習するのに5年間位かかった。勁力の理解には10年間かかった。まだ双手剣などは学んでいない。これはおいらが鈍才のためだ。まだまだ欠点もたくさんある。でも、鈍才でも道はある。それは愚直に稽古できることだ。自分の解釈もいいが、それは先生の意図をしっかり認識してからのことだ。ああこうか、なんて決めつけて稽古していると一向に進歩できない。
*警察学校の翌日、荷物をまとめて、陳さんの案内で、師匠の自宅に向かう。敷地面積150平方メートル位のかなり広い家だ。その2Fの一室を占領した。もちろん個室だ。3人でお茶を飲みながら、上海武術界や心意六合拳についての話が弾む。しばらくして陳さんが帰る。さっそく稽古開始だ。比較的単純な鶏撲食から始まる。当時のビデオ・フィルムがあるが、おいらの動きは無様なものだ。とても虎鷹拳院の会員には見せられない。師匠は実に忍耐強く指導されたものだ。奥さんも働いていたが、三食しっかり作ってくれた。朝飯はだいたい昨日の夜の残りだけど。師匠は中国人としては珍しく、料理しない男だった。朝、1時間位稽古を付けてもらう。午後も1時間位稽古。夜は1時間から2時間位稽古。その間は一人で自主稽古する。お陰で膝はガクガクとなる。椅子から立ち上がると、ギイギイ悲鳴をあげていた。
by tiger-hawk | 2005-09-15 21:57 | 心意六合拳への道 | Trackback(3) | Comments(8)

心意六合拳への旅 その十一

*「初めて見た時、どうしようもない奴だと想ったが、少しは進歩してるじゃないか」 回族の老拳師がつぶやいた。蒋鴻奮先生だ。張克強師匠の兄弟子で、陶子鴻の弟子の一人。おいらはなぜ褒められたのか、考えた。(褒められた、とはいえないが) そして後足の勁力ではないのか? と閃いた。それからは、その切れそうな細い糸みたいな感覚を探してつかまえながら、稽古した。この弱い感覚は、強く抱きしめようとすると逃げてしまう初恋の女性のように繊細だった。あれから2年が過ぎていた、警察学校に張克強師匠を訪ねてから。
*様々な話をしてから、心意六合拳の先生は立ち上がり、みんなを促して歩きだした。何処に行くのだろうか? ともかく付いていくと、食堂に入る。一般食堂ではなくその隣の、仕切りで別けられた客間のようだ。すると、さあさあと、宴会が始まった。ちょうど午後の1時頃とはいえ、料理とともにビールも出てくる。すると別の教官らしき人が現れた。先生が紹介する。この人はボクシング教官、隣は散打教官だ。まさか、キミの実力が見たいからとスパーリングが始まるのか? ヤバいよこの情況は。まあどうにでもしてくれよ。飲め、といわれてグイと空ける。いけねえ、おいら酒弱いんだ。すぐに真っ赤になってしまった。稽古もしていないのに、もう酔っぱらった。恥ずかしいたらありゃしない。でもせっかくの料理だから、喰うか。後から考えたら、先生、半月分の給料を使ってしまったのではないか? あの宴会で。客をもてなす中国の習慣とはいえ、日本人の常識では考えられない。初対面の外国人を、明日から家に住み込め、といえる中国人も大したものだ。まあ外国人だからこそ、かもしれないが、日本の常識にはない。
by tiger-hawk | 2005-09-13 20:25 | 心意六合拳への道 | Trackback | Comments(16)

心意六合拳への旅  その十

*何度も中国に来ているが、警察学校なんて初めてだ。陳さんも地図をちらっと見ている。とにかく陳さんと出かける。上海市内はだいたい知っているつもりだったが、乗ったことの無い路線バスを、さらに乗り継ぐ。長江の分流を、コンクリート製の渡し船で渡る。現在の浦東新区に入る。当時はのどかな農村であった。実は、警察学校に行ったのはこの時が最初で最後だった。今は周辺がどうなっているか、知らない。しかし浦東新区の開発地域は、外資系企業やデパート、さらに飛行場までできて一変してしまった。小さな水路をアヒルの群れが泳いでいたゆったりとした時間と空間は、もう夢の中でしかない。一面の菜の花畑が黄色一色に輝いていた4月の風景も、記憶の中だけだ。
*緊張の中、警察学校に入る。さっそく、心意六合拳の先生と一室で対面する。他にも数名の教官らしき人が、興味深そうにおいらを観察している。おいらこの時、板橋のイトーヨーカ堂で購入した中国製の上着を着ていた。8000円もした上着で、自分では気に入っていたが、上海に着いたら、それ農民の上着だよと、指摘されてしまった。きっと中国ではめちゃくちゃ安いものだろう。以前、上海外国語学院にいた頃、上海財経大学の武術クラブを訪ねた。するとその武術クラブの女子大生に「河南省の農民でしょ」と言われてショックだった。当時話題のミノルタAF一眼レフカメラを見せても、日本人と信じてもらえなかった。コーチの陳さんが、笑いながら日本人だと説明してくれた。日本人はスーツを着ているのが当然だった。警察学校でも怪しまれたので、陳さんが、日本を出発する時鉄道ストライキで混乱していてスーツを着てこなかった、と訳の分からない説明をしていた。そういう説明にしようと、陳さんと事前協議してあった。(確かに春闘はあったけど、いつもおいらこんな汚い格好なんですけど。)ともかく、先生に教えてください、と頼み込んだ。それから、上海市内から2時間以上かかるこんな田舎にはとても通えない、と訴えた。すると明日からオレの家に来い、と言ってくれた。しめた、もう心意六合拳はおいらのものだぜ、と心の中で叫んでいた。明日から三食昼寝付きで、心意六合拳の修行だあー。
by tiger-hawk | 2005-09-12 21:30 | 心意六合拳への道 | Trackback | Comments(7)

心意六合拳への旅  その九

*{本当に心意六合拳をやるのか?}、陳さんは真顔で聞いてきた。上海では、心意六合拳はすこぶる評判が悪い。ヤクザ拳・チンピラ拳などと悪口を言われているそうだ。加えて、鶏歩は格好悪い。一般中国人の美意識に反する。形意拳の三体式ならば許せる。しかし、鶏歩、あれは何だ、とうわけだ。この辺り、漢族と回族の美学の違いがあるようだ。結論としては、教養人・知識人は、太極拳・少林拳・形意拳ならば練るが、心意六合拳はやらない、とのことだ。回族への差別意識もあるようだ。少数民族差別は、中国でも例外ではない。
*文化大革命の頃、ある漢族の共産党左派党員が右派狩りと称して、個人宅への殴り込みを開始した。いわゆる武闘である。この時のケンカ部隊養成に心意六合拳を利用する。三ヶ月位で速成させたチンピラ心意六合拳部隊は、上海で大暴れする。一般市民は眉をひそめる。回族の老拳師達は、公園で稽古する若いチンピラ漢族の、その速成により乱れた技法を見て、嘆く。ここに上海のヤクザ拳が完成した。(師匠と回族老拳師の話から)
*日本の武術雑誌には、{心意六合拳はその余りの激しさのため、一時期、行政当局から練習を禁止された}といった記事があったが、おいらが上海で老拳師達に確認したところ、一笑に付された。一般論として公園で決闘や喧嘩を禁止した、といったところだろう。誇張し過ぎだ。
*震脚を使えば、勁力表現は比較的簡便だ。しかし虎鷹心意六合拳は無震脚である。残念ながら速成はできない。しかしここに、武術の{妙}があり、ある種の快楽がある。
by tiger-hawk | 2005-09-09 00:03 | 心意六合拳への道 | Trackback | Comments(4)

心意六合拳への旅  その八

*虎鷹拳院では震脚を使わない、と言ったら、上海出身で心意六合拳愛好家の高校生がびっくりしていた。そんなものがあるわけがない、といった調子だ。中国出身者もご存知ない無震脚の心意六合拳。しかし24式太極拳も、その元の楊式太極拳も無震脚だ。ところが、24式太極拳を実用できる、と称する先生も震脚してしまう。それは反則です。酷ではあるが、套路に震脚が無い以上、無震脚で撃つべきだ。
*無震脚な形意拳=宋氏形意拳と出会う。しかしあまりに動作が小さいために、隠れた勁道が見えなかった。無震脚な心意六合拳=虎鷹心意六合拳と出会う。そこには弓歩と、動く未完成弓歩=鶏行歩があった。すると後足裏側の勁道が見えてきた。さらに宋氏形意拳の隠れた勁道が浮かび上がってきた。
*上海に着いたが、肝心の陳さんは最近引っ越していて現住所不明。それは分かっていたので、手紙は勤務先の大学宛に出していた。その返事が無い。仕方無いので、上海体育学院の邱師匠を訪ねる。すると邱師匠は出張で留守。幸い夫人が在宅だったので、早速肉うどんをご馳走になる。旨かった、という話ではない! 夫人が財経大学に問い合わせしてくれるとのこと。その日は夫人一人の家に泊まるわけにはいかないので、体育学院の招待所に泊まる。例によって、金が無いと泣きそうな顔をすると、知り合いだから大丈夫と受付のネーチャンと交渉してくれて半額となる。通常料金でもホテルよりかなり安いのだが、とにかく貧乏なのだ。オフシーズンなのでおいら一人。シャワーは水しか出ない。翌日朝、夫人に会うと、陳さんの住所を教えてくれた。陳さんにも電話連絡してくれたとのこと。すぐに引っ越し先に行く。陳さんと会うと、手紙は受け取っていないとのこと。実は大学が休暇中だったので、手紙は大学で眠っていた。とにかく目的の陶子鴻について訊ねると、すでに世を去っていた。がっかりしたが、なにしろ南京国術館出身だ。生きていても高齢だし、想定内だった。それから陳さんはあちらこちらに電話をかけまくり、先生を探してくれた。二日後、警察学校に陶子鴻の高弟がいるという情報がもたらされた。警察学校は上海郊外の交通不便なところ。その高弟と陳さんは、無論面識もない。おいらはその人の氏名も知らなかった。聴く必要もなかった。とにかく陳さんといっしょに会いに行く。

by tiger-hawk | 2005-09-06 21:38 | 心意六合拳への道 | Trackback | Comments(7)

心意六合拳への旅  その七

*宋氏形意拳の基本は学習した。しかし、すぐにはモノにならない。やわらかく力を抜いて撃つことは、理解できた。ひたすら定歩で五行拳を練る。おいらの崩拳では、小学生も倒れてくれないことは、十分承知していた。ではどうすればいいのか、答えは見つからない。とりあえず、力抜きだけはできるようになった。
*中国に初めて行ったのは、1978年。今は亡き日本太極拳協会の{太極拳の翼}訪中団に参加した。文化大革命の終焉したばかりの中国では、四人組への非難が盛んだった。では毛沢東の責任はどうなるんだよ、と叫びたい気持ちでいっぱいだった。所詮、自分の意見をしゃべれば身の破滅を招く社会。ここは中国武術の実情を知るべき旅、余計なことはしゃべるまい。帰国してから、桃果団を結成。武術同好会みたいなものだった。この桃果団は数年続いたが自然消滅。その後も様々な形で同好会的活動は続けた。会員から心意六合拳を教えてくれ、との要望があった。徐文忠師匠から学んだいくつかの技を教える。しかしネタはすぐになくなった。本格的に系統立てて学習したわけでもなし。でもこれは天の声だと感じた、心意六合拳を本格的に学べとの。当時、徐文忠師匠がアメリカ西海岸に渡ったとの消息があった。アメリカならば居心地がいいのでもう帰るまい、と判断した。(この判断は間違いで、英語に不自由な師は一ヶ月位で帰国した。)徐文忠師匠の上海の高弟に学ぶ手もあったが、なぜかこの時、全く違う系統の心意六合拳を学びたくなった。一冊の本があった。{心意六合拳}陶子鴻著 宁夏人民出版社、以前上海体育学院の邱師匠の自宅に遊びに行った時、本棚で見つけた。欲しそうな顔していたら、笑顔でくれた。今、よく見ると技がたくさんある。面白そうだ。よし、この先生に入門だ。友人で上海財経大学武術教師の陳さんに手紙を書いた。なかなか返事が来ない。ままよ、とばかり上海行きの飛行機に乗り込んだ。
by tiger-hawk | 2005-09-05 20:38 | 心意六合拳への道 | Trackback | Comments(3)

心意六合拳への旅  その六

*1982年上海の外灘で、奇妙なアヒル歩きを見た。どうやら拳芸みたいだけど、なんて不格好なんだ ! それが心意六合拳との最初の接触だった。その後、84年に徐文忠師匠の自宅で心意六合拳をかじった。なんか辛い練習だというのが感想。今想うと、尾呂中正していない心意六合拳は、本当に不格好だ。84年と85年、上海外国語学院(現在の上海外国語大学、大学は総合大学で学院は単科大学を指す。)に一ヶ月いて、語学研修を受けた。もちろん語学は口実で、武術の学習に明け暮れた。 84年には語学研修後、西安と北京に旅行した。この旅行は研修終了の団体観光旅行だったが、西安で馬賢達先生と面会して、翻子拳・八極拳・劈卦拳などを少し見せてもらった。北京では人民大学に留学中のSさんと会えた。現在は意拳・太気拳で著名な先生だ。北京大学で食事していると、「汚い中国人が会いに来た」とクラスメートが告げた。解放軍の軍服に身を包んだSさんだった。意拳の稽古や北京武術界の事情について、話が聴けて、とても楽しかった。危険な情況にも遭遇しているようだった。日本人のくせに巧いので、一部の中国人に妬まれ狙われてたようだ。
*85年は語学研修の後、上海体育学院で2週間武術研修を受ける。これは日本でおいらが計画した武術研修団で、所属団体と関係なく様々な人に呼びかけ希望種目を自由に学ぶ、という当時でも今でも考えられない研修旅行だった。おいらは、上海外国語学院の留学生楼にそのまま宿泊して、自転車で上海体育学院に通った。武術研修団はもちろん、体育学院に宿泊していた。その後、徐文忠師匠に連れられて安徽省合肥市を訪ねる。師匠の娘は合肥市で武術教師をしていて、全中国でも著名な武術家だった。ここで初めて元妻と出会うが、それはまた別の話となる。今想うと、勝手なことばかりしていたなあ。
by tiger-hawk | 2005-09-03 08:40 | 心意六合拳への道 | Trackback | Comments(4)
line

回族心意六合拳・宋氏形意拳・動物太極拳・虎鷹拳院・指行性勁力・藤松英一


by tiger-hawk
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
XML | ATOM

skin by excite