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動物武術の虎鷹拳院日誌

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カテゴリ:勁力への旅( 8 )

勁力への旅・その八(終わりの始まり)

*さて、世の中は、電波停止 ! の女ヒットラー が登場したりして騒がしいようですが、そんなこととは関係なく、勁力への旅も終わりを迎えております。

*ある日、心意六合拳の様々な流派に詳しい回族の陳先生を招いたとのこと。張克強先生の兄弟子の蔣鴻興先生も同席していました。

*何か質問しなさい、と張克強先生に言われたので、そこで、さっそく陳先生に質問しました、「四把捶の意味とは何か? 」。ところが陳先生、「初対面の君にそんなことは教えられない」と来ました。「それは爆弾の製造法を教えるようなものだ」だそうです。「危険過ぎる」そうです。

*自分としては気楽に質問したのですが、そんないきなり拒絶されたので、もうどうでもいいや、という気分になりました。陶子鴻先生の系統の心意六合拳には四把捶がありません。それで質問しただけなのですけど。

*私は張克強先生から四把捶は学習しました。張克強先生、三系統の心意六合拳を学んだようです。その後、私は、四把捶には動物武術としての思想性に欠けているのが解りました。単なる技の寄せ集めです。したがって、今は練習していません。

*その後、三人の先生は談笑していました。私は一人で練習です。いろいろやったのですが、特に鷹抓把をやってみました。(ちょうど、裏手がサッカー場でした。)

*すると、蔣鴻興先生が言うには、「初めて見た時はどうしようもない奴と思ったが、少しは進歩したな」とのことでした。けなされたのか褒められたのか、解らないのですけど、自分は前向きに捉えました。

*そしてこれは、「地面を蹴らない後ろ足」のことだな、と解釈しました。

*その後、鶏形単把をやってみました。すると、陳先生が修正してくれました。その単把、おかしなことに、前手の手首に後ろ手を添えます。両手が重なることがありません。とにかく、意味も解らずやっていました。

*そして、突然、「この勁で撃つ」と動作を示しました。それは、小さい弓歩で、後ろ足の踵を上げて降ろしました。たったそれだけのことです。

*私はそれで勁力に覚醒しました。

*ところで、前手の手首に後ろ手を添える単把なのですが、張克強先生の自宅に戻って、その単把を練習していました。

*すると、張克強先生、笑っています。「フジマツ、お前、からかわれたんだよ」と言います。

*「確かにフジマツにはそのように教えたけど、自分でやっていた時は、両手を重ねる手型だった」とのことでした。あれ? また騙された ! 自分、馬鹿だなあ、と再認識しました。

*確かに、冷静に考えれば、前手の手首に後ろ手を添えても、無意味です。

*帰国後、漫画「拳児」を見たら、同じウソ単把が載ってました。あれ? 原作者の松田隆智先生も騙されてた ! これ、回族の騙しのポピュラーなテクニックなんですね。面白い ! と思いました。別に腹も立ちませんでした。

*何故って、陳先生、勁力を覚醒させてくれたからです。もちろん、ただ見せてくれただけです。解説もありません。しかし、私には解りました。

*この方法を、張克強先生に見せたところ、一笑に付されてしまいました。しかし、これも私には解ってしまいました。陳先生と張克強先生は同じことをしているのです。

*この方法には形がありません。そもそも鶏歩の中に内包されている勁力だからです。それを張克強先生は表面に表現しません。

*しかし、陳先生は表面に出しました。それだけの違いです。では何故、陳先生は表面に出したのか? それはフジマツに見せるためでした。あの動作に必然性はありません。いじわるそうで、親切な一面もあった陳先生でした。あれから一度も会う機会がありませんでした。届かないかもしれないけど、ありがとうございました。

*帰国後、陳先生の方法を教えてみたけれど、誰一人できませんでした。それ以来、日本人には無理、と教えるのを止めてしまいました。みんな、太もも=大腿直筋で地面を蹴ってしまうのです。地面を蹴ってしまえば、それで終わりです。勁力は発生しません。

*その後、下腿三頭筋で地面を蹴る人も現れました。そうです、八卦掌みたいな方法です。どちらにせよ、地面を蹴れば終わりです。

*ところが先日、クッキーさんが「こうですよね」と成功させていました。これにはびっくりしました。できる人もいるんだ、と認識を改めました。それでも、積極的に教える気持ちはありませんけど。

*この勁力は、心意六合拳の鶏歩に内包されています。宋氏形意拳の六合歩にも内包されています。もちろん、気付かない中国人もたくさんいます。すると、沈墜勁や震脚などの外勁力に頼る結果となります。

*この勁力は、鶏歩と鶏行歩を全く同じものとして捉えると覚醒します。鶏歩の後ろ足が全く変化することなく、鶏行歩します。すると、発生します。

*しかし、この勁力を「後ろ足勁力」とネーミングしたことは失敗でした。誤解を招く結果となりました。

*そもそも一般の人の後ろ足は、地面を蹴るしかありません。太ももで地面を蹴るしかありません。それ以外、想像できません。生まれて来てから、そのように歩いてきたのです。それは、ヒトの直立二足歩行の構造だからです。いうならば、樹上生活から草原生活になったサルの、700万年の伝統です。

*すると、当然、後ろ足で地面を蹴る心意六合拳も、形意拳も、一般的になりました。その他の武術はいうまでもありません。ランニングもウォーキングも同様です。

*後ろ足勁力では問題あるので、今では、ニワトリの一本足時間と虎の指行性として、整理しました。

*これに、体幹の絞り=龍腰と、前腕の筋肉=鷹爪が加わります。それで、姿勢の勁力と称します。姿勢を変えてはいけませんので、最後は、前腕だけで撃つ、ということになります。姿勢を変えてはいけないとは、体重移動してはいけないということです。

*これが、動物武術から発見する静かな力の正体です。
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by tiger-hawk | 2016-02-17 10:03 | 勁力への旅

勁力への旅・その七(国内ドタバタ篇)

*勁力への旅も最終回です。読者の方から、国内ドタバタ篇も書け、といわれたので、ちょっとだけ。

*20代の時、友達から太極拳が強そうだぞ、といわれたのでサトキ◯道場へ入門してみた。当時は選択肢がほとんど無かった。これは、後年、故佐藤聖二さんから、「フジマツさんはサトキ◯道場へ行ってた暗い過去がある」とからかわれる原因となる。佐藤さん、無邪気なものでした。子供みたい。私は高校生の佐藤さんから少林拳を習っていました。佐藤さんはもう太気拳の修行をしていました。

*その頃私は、友人たちと桃果団という武術サークルを作って、北の丸公園田安門の広場で、毎週日曜日に練習していました。この桃果団が、虎鷹拳院の原点です。何故か、噂になって、若い人が集まってきました。

*さて、時間を戻して・・・故松田隆智先生が、台湾経由の情報を著作にしてました。「少林拳入門」、「太極拳入門」とか、代表作が「謎の拳法を求めて」など。

*どうも、サトキ◯道場の情報と食い違う。それで、自分で中国へ行って確かめよう、ということになった。当時、中国とのパイプは、日本武道館で練習していた今は亡き日本太極拳協会しか無かった。自民党の故古井喜実先生のパイプです。それで、戦後初の大衆的太極拳旅行団に紛れ込むことにした。そこで見聞を広める。確か1977年かな。

*当時は、中国武術代表団が日本各地で表演会をしていました。1980年、東京公演の帰り道、なんとなく匂いがしたので、中国人らしい青年に声をかけてみる。八極拳ができる、とのことで公園で少し見せてもらうことにした。当時から中国語はちょっとだけできました。李英先生の発見です。

*国内で八極拳を見たことのある人はいなかったので、自分と同行した友人二人が第一号でした。でも、人がいい私は、さっそく佐藤聖二さんに「八極拳の先生が見つかった」と電話しました。八極拳は1980年から85年にかけて学びました。これは、人間関係が原因で止めてしまいました。でも、李英先生には感謝しています。後年、姿勢の勁力の発見に、八極拳の経験はたいへん役に立ちました。

*1982年に、上海へ旅行して、太極拳研究家の故顧留馨先生の自宅を訪問しました。(押し掛けた。) そこで、推手を裏技まで習いました。顧留馨先生、陳式太極拳と楊式太極拳の著作で有名でした。

*1984年(一ヶ月)と1985年、上海外国語大学へ語学研修しました。語学研修を利用して、一人で武術学習しました。徐文忠先生の自宅へ押し掛け、一至八翻(古典的な翻子拳) を習いました。心意六合拳もちょっとだけ。(その心意六合拳はスタイルが違うので、今はやっていません。)

*1985年は、自分で武術学習団を組織して(中国留学協会に支援してもらい) 、上海体育学院に二週間、翻子拳を学びました。私は上海外国語大学に残り、そこから通いました。それが終わってから、徐文忠先生に同行して、安徽省合肥市に徐淑貞先生(徐文忠先生の娘さんで、武術コーチ) を訪ねました。そこでも武術学習です。

*国内では、84年頃、常松先生に通背拳を学びました。そこは、私が様々な武術を習っていることで、他の道場生に嫌われたので、止めました。常松先生には良くしてもらったのですが、メンドー臭くなりました。私、投げやりな性格なので、すぐに逃亡します。後年、拳杯の大会もトラブったので、放棄して、ついでに中国武術とも絶縁しました。

*拳杯のトラブルでは、大阪の合気道の先生にお世話になりました。ありがとうございます。殺しのメッセージをくれた胴締め先生にも、「結果としては」感謝しています。その頃、拳杯を続けることに疲れていました。(自分の武術を深める時間が欲しかった。大会をやるために武術しているわけではない。まして、武術権力なんかどうでもいい。) 

*結果として、中国武術とも絶縁できました。これは本当に良かった。神様のお導きでしょうか? (無神論者なんですが) 中国武術と絶縁できたことも、姿勢の勁力を深める結果となりました。いいことばかりです。何故か、悪いトラブルが、結果として良い方向へ導きます。

長くなったので、一旦、切ります。(次回で本当に最終回です。) 
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by tiger-hawk | 2016-02-16 05:36 | 勁力への旅

勁力への旅・その六(騙された話)

*さて、世の中は憲法改正で大日本帝国への道か? と騒がしいようですが、勁力への旅も終わりに近づきました。その後もそれ以前も勁力への旅はあるのですが、全て省略です(笑) 。上海外国語大学のドタバタ篇も面白いのですが。くだらない失敗話もたくさんありますが、全て省略です(笑) 。

*勁力への旅は、騙された話で終わります。私、自慢じゃないけど馬鹿なので、よく人に騙されます。しかし、勁力の発見は、騙されたことにより成功しました。

*その前に、最初の訪問で、張克強先生は隣の農家へ案内してくれました。ニワトリを観察しようと言うのです。大きな金網の中で、ニワトリがゆっくり歩いていました。一歩進むと一本足になってしばらくそのままです。それからまた歩を進めます。また一本足になってしばらくそのままです。これはツルにも見られます。たぶん、餌を探しているのでしょう。

*これが心意六合拳の鶏腿(鶏歩と鶏行歩) のアイディアに繋がるらしい。その意味はその時は解りませんでした。後になって、一本足時間だと解りました。

*ヒトは歩く時、左右の足が交替するので、誰にでも一本足になる瞬間があります。では、どうして勁力が発生しないのか? それは一本足の時間が短過ぎるからです。つまり、一本足に全体重を集中する必要があります。これに、虎(ネコ科) の指行性が加わる時、足の根本勁力が発生します。その時、一本足の足指に全体重が集中します。

*その当時は、心意六合拳の鶏撲食と鷹抓把の技から、地面を蹴らない後ろ足、を発見しました。後ろ足は地面を蹴らないので、途中で弓歩状態になりません。ランニングとは明らかに違います。

*前足は軽やかに進み、やさしく着地します。沈墜勁も震脚もありません。着地はもちろん、肉球(趾球と足指) です。鷹抓把だと、かなり足指主体となります。そんなことを漠然と考えていた頃、翌年、また上海郊外へ行きました。

*ある日、張克強先生と出かけました。何処へ行くのか? ある回族の先生の自宅へ伺いました。するとその先生、四把捶の前に二把半がある、と言い出しました。え? 二把半? 聞いたことないぞ? なんだそれ?

*すると教えてくれるというので、一生懸命に真似してみました。やっと覚えて、謝謝 ! とその先生の家を後にしました。

*帰宅してから、二把半を練習していると、張克強先生が笑っていました。「フジマツ、お前、からかわれていたんだよ」と言うのです。「その二把半の虚歩を見てみろ、査拳の虚歩だ」と言うのです。

*確かにそうです。査拳や少林拳の虚歩は、前足のつま先を地面に付けます。しかし、心意六合拳の虚歩は、前足の踵を地面に付けます。まさか、回族の先生に騙されるとは思いませんでした。ところが、これだけでは終わりませんでした。

*さて、その時は、回族の先生の家から、モスクへ向かいました。上海最大のモスク、小桃園というモスクです。イスラームには寺院はありません。モスクはイスラーム礼拝所です。そこには基本的には、手足と顔を洗う洗い場と、集会所があるだけです。それに会議室と事務所が付属します。

*イスラームは偶像礼拝を禁止したので、モスクは基本的に簡素なものです。アラビア文字とアラビア風装飾はあります。(仏教もキリスト教も、最初期には偶像は無かったのですけど、後に生まれました。)

*そこで、回族の中年の拳師と老年の拳師に会いました。中年の拳師は、四把捶と弓歩の虎抱頭を見せてくれました。老年の拳師は、爆発だ ! と言いながら迫力満点の鷹捉を見せてくれました。

*すると、張克強先生、フジマツもやれ、と言うのです。しかも、搖閂把をやれ、と言うのです。その時、自分に勁力が無いことはもちろん自覚していました。その上に搖閂把です。一番自信の無い技です。どうやって撃ったらいいのか、皆目見当もつかない技です。

*力を入れても駄目なので、力抜きでやってみました。これは、帰宅してから、張克強先生、激怒していました。「お前のは踊りか ! 武術ではない ! 」と叱られました。まあ、叱られるのは予想していたのですけど、がっかりさせたのは申し訳ありませんでした。(宋氏形意拳で力抜きは徹底的にやったので、それだけは問題ありませんでした。)

*搖閂把は全く撃てなかったのですが、その後、搖閂把と馬形鑽拳の未完成鶏歩から、突破口を見つけました。(今は、会員にも強い人たちが現れてきたので、ヤバい状況ですけど。) 

*モスクでの演武はさんざんでしたけど、転んでもタダでは起きないフジマツです。初めて見た弓歩の虎抱頭は、しっかりと見て盗みました。まあ、簡単な技ですし、単虎抱頭の元の形と考えれば、どうってことない技なんですけど。でも、なかなか面白い技です。もちろん、打撃力は鶏歩の虎抱頭が最高で超危険です。

*さて、回族の先生に騙された話は、これで終わりませんでした。それが、直接、勁力の発見となりました。(つづきます) 
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by tiger-hawk | 2016-02-11 07:27 | 勁力への旅

勁力への旅・その五

*当時の張克強先生の自宅は、上海郊外の農村地区にありました。小さな運河には、アヒルが20羽位、楽しそうに泳いでいました。ちょうど春でしたので、見渡す限り菜の花畑が広がっていました。水平線まで黄色い花が咲き乱れ、それは美しい江南の田園風景でした。

*山西省だと、こうはいきません。畑はあっても荒涼とした風景が広がります。まさに、黄土平原が広がります。空気は乾燥して、半分砂漠みたいな感じです。

*江南の春・・・そんな上海郊外の風景は、現在は一変しました。コンクリート製の未来都市? みたいな風景が広がります。未来都市? にはもちろん土の匂いも人間の匂いもしません。それを見ると、文化は滅びるのだなあ、と悲しい気持ちになります。

*先生の自宅は、敷地が150平方メートル位で二階建てのコンクリート製です。(隣の農家とはまるで違います。) 庭もあるので、そこで練習しました。先生、当時では珍しく自家用車を乗り回していました。ドイツのメーカーと提携したサンタナというクルマでした。

*どうしてお金持ちなの? 当時は全く気にしませんでした。なにしろ、心意六合拳を教えてくれればそれで満足、でした。たぶん、なにか財テクしていたのでしょう。当時は共産党の地方幹部たちが、こぞって起業している時代でしたから。(そんな起業家の地方幹部たちと、レストランの会食で同席させられたことがあります。) 

*先生、大学生の頃は、陶子鴻先生の師範代をしていたので、弟子が20人位いたそうです。当時は、警察学校勤務でしたから、弟子はいませんでした。近所にも武術をやっていることは秘密でした。

*上海で心意六合拳を練習するような若者は、繁華街でケンカするような乱暴な人が多かったそうです。もし、弟子が街で騒ぎを起こしたら、先生の警察学校教官の面子がまるつぶれとなります。責任問題になるかもしれません。というわけで、弟子はゼロでした。

*訓練は、歩型の鶏歩と、技では蛇行歩と龍形十字劈から始まりました。蛇行歩は心意六合拳としては珍しく定歩の練習があります。龍形十字劈は、いかにも古典的な技です。(龍形十字劈は背の高い人向けの技です。自分には向いていません。ちくわさんがやれば、ちょっと近寄れなくなります。)

*それから基本的な技として、鶏行歩、鶏撲食、単虎抱頭、鷹抓把、熊吊膀、猴縮身、龍形裹風、鶏形単把、などを訓練しました。

*一回目の訪問では、合計40個位の技を学習しました。先生としては短期間に全て教えてやる、という意図でした。

*もちろん、私は全ての技が撃てません。どれ一つも満足にできません。技の形を真似するだけでせいいっぱいです。それも、あやふやです。元々、悪い頭がさらにパニックを起こしました。そもそも、訓練に耐え得る筋肉がありません。下腿三頭筋も大腿四頭筋も貧弱でした。

*二週間過ぎると、私の膝は悲鳴を上げていました。必要な筋肉も無いのに、一日8時間以上の練習をしたためです。座った状態から立ち上がると、膝がギィギィと音を立てました。もはや、歩くのも辛くなりました。もっとも当時は、足首に体重を降ろす、なんてことには無知でしたけど。だから、膝に体重をかけていたわけです。

*先生は仕事があるので、早朝に少し練習、昼に少し練習、夜にしっかり練習、という具合でした。(昼は来たり来なかったり) 私はもちろん、やることありませんから、一日練習していました。

*本来は、鶏歩と弓歩をじっくりとやって、訓練に耐え得る筋肉を作ります。技もたくさんは要りません。2個位で十分です。だから、良い子は真似しないように。

*そんな具合でしたから、ケイリョク? 何それおいしいの? 心意六合拳で撃つ? 信じられなーい ! という状態でした。

*それでも排打功を学んだ時は悲惨でした。全身を撃たれてボコボコにされて、翌日の朝はベッドから起き上がれませんでした。あれ? 身体が硬直している? 30分かけてゆっくりとベッドから這い出ました。(カフカの虫状態です。) 

*とりあえず、夜行で上海から北京へ。(列車の中で、食べ物の無い私に同情してくれた中国の若者たちからサンドイッチを恵んでもらう。当時は7時間かかりました。) 元嫁さんと合流して、山西省太谷県へ。宋光華先生から、宋氏形意拳の十二形拳を学ぶ。

*北京へ戻り、中国武術研究院を訪問して、偉い先生たちの前で宋氏形意拳を披露させられる。(偉い先生たちが漢族なので、心意六合拳は見せない。) そしてまた上海郊外へ。張克強先生から心意六合拳の技の入り方を学ぶ。(これを知らないと、技だけでは実際には使えない。) 

*山西省では、祁県の戴龍邦の生家を訪ねたりしました。外国人としては初めてだそうです。その家は城のようでした。敷地は1000平方メートル。外壁は高い所で8メートル位。ほとんどの部屋は現在使われていません。戴氏心意拳は戴家では失伝していて、外部に伝わるとのこと。

*帰国してから、しばらく練習を休んで膝の回復を待ちました。(苛酷な旅で身体は疲れきって、寒気がしていました。) それから、技を絞りました。まず、一番簡単そうな鶏撲食です。これで歩法を学びます。

*龍形裹風などは撃てそうもないので、一年間以上放置しました。(何やってんだか ! )

*先生の技で、最高にダイナミックでカッコいいと感じたのは、まずは鷹抓把でした。で、鷹抓把を真似してやりました。これは盗んでやろう、と決心していました。

*そのうちに、鷹抓把の後ろ足と鶏撲食の後ろ足が同じだと気付きました。どちらも大きい歩幅を造ります。ところが地面を蹴っていません。足は伸びることなく、曲がったままです。弓歩状態になりません。

*陸上競技の短距離でも、アフリカのマラソン選手でも、大きい足幅になり、後ろ足は空中でほとんど伸びきります。空中で弓歩状態になります。(地上最速といわれるチーターでは、背中がしなり、前足も後ろ足も伸びきりほとんど水平になります。) ところが、心意六合拳では弓歩状態になりません。足は曲がったままです。(しかし、多くの心意六合拳は太もも=大腿直筋で地面を蹴ります。そこで蹠行性になります。)

*ここが、勁力発見の突破口になりました。しかし、一年以上かかりました。やっぱりアホです。

*地面は蹴らないのに、指行性状態になります。すると、下腿三頭筋で身体を支える結果となります。下腿三頭筋が覚醒します。これに、前腕の筋肉=鷹爪と、体幹の絞り=龍腰が加わります。体幹の絞りでは、宋氏形意拳の熊の1号と2号がたいへん役に立ちました。
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by tiger-hawk | 2016-02-06 11:34 | 勁力への旅

勁力への旅・その四

*荒野の中に浮かぶ軍事基地のような上海第一人民警察学校を、心意六合拳・陶子鴻先生の高弟を探して訪ねました。

*中国の警察は、国家の治安維持のためにあります。それはどういうことかというと、警察は戦車を持たない軍隊なのです。もちろん、市民サービスなんてものはありません。いわば、国家権力としての剥き出しの警察の姿をしています。

*以前、上海外国語大学へ語学研修へ行った時、人民広場にいる警察官に道を尋ねたことがありました。その警察官には完全に無視されました。こいつはキチガイか? と思われたことでしょう。警察官に道を尋ねるなんて、非常識もいいところだったのです。(アホです、フジマツ)

*張克強先生とクルマで街を走っている時、「フジマツ、最近、この交差点の近くで暴力団と銃撃戦をやった」とこともなげに言ってました。中国では、暴力団も自動小銃で武装しています。警察も自動小銃で応戦します。ちょっと日本人には想像できない世界です。(もちろん、日本の警察には自動小銃なんてありません。)

*銀行強盗も、公開処刑される時、堂々と銃殺されます。覚悟が違います。最初から命捨ててます。

*張克強先生は、鬼教官といわれていたそうです。彼が朝礼台に立つと、空気が一変するそうです。

*中国の警察学校では、泥の中を匍匐前進させます。女学生などは泣いてしまうそうです。この話しを、虎鷹拳院の警察出身者に聞いたところ、びっくりしていました。日本の警察は軍隊ではありませんから、匍匐前進なんて訓練はありません。

*そんな警察学校へアホ面のフジマツはヘラヘラしながら侵入しました。さっそく、会議室のようなところへ通されました。事情聴取? です。もちろん、自分は心意六合拳を教えてくれ、と頼みました。

*でも市内から通うには遠過ぎると文句を言いました。(その時は、陳如慶先生の自宅に居候していました。) すると、張克強先生、「明日からオレの自宅に宿泊しろ」と来ました。自分としては、最初からそのつもりでしたので、上手くいったと内心喜びました。(中国では中国人に迷惑ばかりかけているフジマツです。)

*そこから、何故か警察学校の食堂の隅に屏風があるコーナーに案内されました。すると、ボクシング教官と散打教官も席に着きました。歓迎の宴会の始まりです。たぶん、張克強先生、一ヶ月分の給料を散財したことでしょう。(太っ腹です) まさか、リングに上がれと言われたのでは敵わないので、勧められるままにビールをガブガブ飲んで、顔を真っ赤にしていました。

*酔っぱらったまま、警察学校を後にしました。翌日、張克強先生の自宅を訪ねました。なお、張克強先生は、銃関係の教官でした。

*後年、聞いたところによると、張克強先生はフジマツのファイルを調べたそうです。中国で問題のある行動をしていないかどうか、ということです。そこは警察ですから、閲覧できるわけです。

*中国は警察国家ですから、国民一人一人にファイル(行動記録) があります。もちろん、一度でも中国へ入国したことがある外国人にもファイルがあります。このファイルは一生付きまといます。

*とまあ、ドタバタがありまして、私の心意六合拳修行が始まりました。

(註) 天安門事件の際、中国共産党は人民解放軍を動員しました。その時、何故、警察ではなく軍隊なのか? と各国に非難されました。それが中国共産党には理解できませんでした。そもそも、中国では軍隊と警察に明確な区別がありません。大規模な騒乱だから軍隊を動員した、というわけです。だから、警察は戦車を持たない軍隊なのです。「政権は銃口から生まれる」(毛沢東)
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by tiger-hawk | 2016-02-04 10:26 | 勁力への旅

勁力への旅・その三

*これで駄目だったら、武術を止めよう、と決心した心意六合拳ですが、実は以前、徐文忠先生から心意六合拳をかじったことがありました。(1984年、上海外国語大学へ語学研修した時です。)

*そこで、徐文忠先生から習おうと思ったのですが、カルフォルニアへ行ってしまった、との情報がありました。もう上海に戻ってくることは無い、と判断して、徐文忠先生の線はあきらめました。(実際には二ヶ月位で上海へ帰ったそうです。) 

*この際だから、徐文忠先生とは全く違う系統の心意六合拳を習おう、と決心しました。何故そのように考えたのか? はっきりとはしません。しかし、この決断が勁力獲得の扉を開きました。神様のお導きでしょうか? (無神論者なのですが) ともかく、運命の扉は開かれました。

*後年、考えてみると、徐文忠先生の心意六合拳の勁力は、前足の踏み込みだけでした。鶏歩本来の勁力はありませんでした。それは、鶏行歩を見るとはっきりと見て取れます。浮いています。上海では一般的な心意六合拳のようですが、姿勢の勁力にはほど遠い拳です。

*徐文忠先生の心意六合拳は、その形意拳と同じく蹠行性(せきこうせい) でした。踵で着地します。そして、地面を蹴る運動で前進します。前足の踏み込みも、地面を蹴る運動です。

*当時、私の手元に、「心意六合拳」の本がありました。陶子鴻著、寧夏人民出版社、とあります。これが、私の師匠となる張克強先生の著作とは、その時は知るよしもありませんでしたけど。

*本を見ると、なにやら技がたくさんあります。十大形套路まであります。楽しそうです。この心意六合拳に決めました。実にいい加減であります。イラストは実に怪しいのですけど(笑) 。図の位置も間違いがあります。このイラストについては、出版社によるすり替えが行われたそうです。

*当初、イスラム帽を被った回族の心意六合拳者が描かれていたのですが、出版社が勝手にすり替えました。少数民族差別が背景にあるようです。中国(漢族) の民族差別は凄まじいものがあり、日本人の想像できる範囲を越えています。過去にも、そして現在も民族虐殺事件が後を断ちません。

*「心意六合拳」の本は、上海体育学院の邱先生が自分の本棚からくれました。私が心意六合拳に興味がある、と言ったためでした。張克強先生が上海体育学院卒業で、邱先生の学生でもあったとは、その時は知りませんでしたけど。

*実際にはその本をもらってから数年後、私は上海行きの飛行機に乗り込みました。陶子鴻先生を探しに。その頃、陶子鴻先生は既に亡くなっていたとも知らずに。(アホです、フジマツ)

*上海財経大学の陳如慶先生に手紙を送りました、「陶子鴻先生を探してください」と。ところが返事がなかなか来ません。まっいいかと返事を待たずに上海へ行きました。いい加減です、フジマツ。

*とりあえず、上海体育学院の邱先生の自宅へ向かいました。陳如慶先生が引っ越したらしいとの情報があったので、手紙は大学へ送ったのでした。邱先生は出張で不在でしたので、とりあえず夫人に肉うどんをごちそうになりました。おいしかったです。(何やってんだか) 

*夫人があちこちに問い合わせして、引っ越し先が判明しました。その日はもう遅いので、上海体育学院の招待所に泊めてもらうことにしました。夫人の計らいで半額にしてもらいました。シーズンオフでお湯が出ませんでしたけど、贅沢は言えません。宿泊は私一人ですから。

*やっと陳如慶先生の自宅を探し当て、会うことができました。ところが、私の手紙は受け取っていない、とのことでした。ちょうど大学が春休みで、陳先生も大学へ顔を出していなかったというわけ。

*とりあえず、陳如慶先生、様々なルートを使い、陶子鴻先生を探してくれました。陶子鴻先生が既に亡くなっていることはすぐに解りましたので、その弟子をいろいろと探してくれました。すると、警察学校に弟子がいるらしい、と解りました。

*さっそく警察学校へ行くことになりました。ところがその警察学校、上海の郊外でした。行ってみたら、荒野にポツンとあるだけ。周りには民家も商店もありません。要するに軍事基地みたいなものです。

*後から考えたら、外国人立ち入り禁止地区のはずです。自分一人では、とても辿り着けないところでした。陳先生に当たり前のように連れて行ってもらいました。陳先生も初めて行くところで、バス路線を乗り継いで行きました。

*私は、その心意六合拳の先生の名前を聞きもしませんでした。もちろん、技も見たことありません。でも、もう会う前から習うものだと決めていました。のんきなものです。

*ところで、ヒトは踵で立って歩く蹠行性と地面を蹴る運動で、直立二足歩行を確立しました。したがって、勁力運動としては、地面を蹴る運動を拡大強化すればいいわけです。それが、震脚、沈墜勁、十字勁、纏絲勁、などとなります。

*しかし、心意六合拳の鶏行歩運動は、虎の指行性とニワトリの一本足により造られました。鶏歩は指行性で、鶏行歩は一本足時間を長くします。すると、鶏行歩は地面を蹴るというより、「体重だけ運ぶ」運動となりました。この、体重だけ運ぶ運動により、体重を勁力へ変換することが可能となりました。

*体重だけ運ぶためには、かなり力を抜く必要があります。すると、体重は足首に降りてきます。足首は関節ですから、実際の運動は下腿三頭筋が担うことになります。この時、下腿三頭筋も地面を蹴ってはいけません。鶏歩のよくある間違いは、下腿三頭筋が地面を蹴ることによって生じます。それは余計なお世話となります。

*鶏歩は自分の体重分だけ立ちます。宋氏形意拳の六合歩も自分の体重分だけ立ちます。ここが、がんばる日本人には理解し難いところです。迫力が勁力だと思い込んでいる人にも、理解できないところです。
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by tiger-hawk | 2016-02-01 00:46 | 勁力への旅

勁力への旅・その二

*ある日、宋光華先生の近所に棲む、やはり宋鉄麟の弟子だった先生に招かれました。そして、宋氏形意拳の極意は、「静」だと教わりました。

*もちろん、そんなこと言われてもチンプンカンプンです。今考えると、静は動の反対だから、姿勢のことです。つまり、静とは姿勢の勁力のことです。

*ともかく、宋氏形意拳の五行拳を習ってはみたのですが、当然、全く撃てません。自分の崩拳では小学生も倒せません。もちろん、暴力ならば倒せますが、それでは武術の意味がありません。暴力が通用するのは、体格差が著しい場合だけです。

*それ以前に、劈拳が全く駄目です。どうしようもありません。劈拳は形意拳の母拳といわれています。でも、ある日気がつきました。形意拳の華は崩拳です。五行拳も崩拳で統一してしまえばいいのです。すると、劈拳は崩拳の変形となります。これで上手く撃てるようになりました。鑽拳も崩拳の変形です。炮拳はそもそも崩拳と同じです。上の手が加わるだけです。

*ところが、宋氏形意拳の横拳は特殊です。横拳には熊の2号が必要です。

*しかし、ある日気がつきました。熊の1号も2号も、体幹の絞りとしては同じことです。そこで、熊の1号と2号を統一してしまいました。そして、崩拳に横拳の要素を加えてみました。これが大成功です。崩拳の力量が倍増しました。

*ここまでは、私の独断です。太谷県を訪ねてからはるかに年月が経っていました。

*当時解ったことは、私の六合歩(三体式) は浮いているということです。浮きっぱなしです。穏やかでもないし、安定もしていない。フワフワと空中浮遊しています。

*歩けば、さらにフワフワと浮きます。五行拳を撃つ、なんてレベルではありません。最低です。

*そこで、とりあえず、歩くのはあきらめました。六合歩の定歩でひたすら五行拳を撃ちます。

*そうこうしているうちに、拝師の日が来ました。通常は、二年間以上練習した人が拝師を許されます。私は初めての外国人ということで、大サービスというわけです。

*取り仕切るのは、宋光華先生の兄弟子、趙永昌先生です。もちろん、私が拝師するのは宋光華先生です。拝師の儀式がありまして、趙永昌先生が宋氏形意拳の歴史を読み上げます。私は宋光華先生に、三回お辞儀します。

*その後、中庭で演武会です。宋鉄麟に関係する様々な先生が来ていました。そして、宴会です。テーブルと椅子は近所のレストランから借りてきました。料理と酒の費用は私が出します。(当時は物価が安かったので、それほど負担ではありませんでした。今だったらヤバいところです。)

*拝師したのは6月4日、北京は流血の日曜日でしたが、ここ太谷県は遠く離れた田舎です。北京の情勢は全く報道されません。田舎は平和そのものです。

*一週間経ったら、テレビのニュースが流れました。反革命暴乱と決めつけられました。長安街を引き上げる学生デモ隊が写っていました。映像は人民解放軍撮影だそうです。ところが、音声が全くありません。銃の発砲音を消したわけです。

*ニュースでは、人民解放軍のトラックを数十台燃やしていました。学生デモ隊が放火したそうです。解放軍が自分たちで自分たちのトラックに放火したのがミエミエです。笑ってしまいました。

*中国共産党政権を打倒しようとした反革命暴乱と決めつけられましたが、学生にそこまでの意図はありませんでした。せいぜい共産党の穏健派に期待しただけでした。それが中途半端になった原因です。まだ毛沢東神話が少し生きていました。

*その後、元嫁さんの故郷=安徽省合肥市へ、太源から飛行機に乗り込みました。合肥市でしばらく過ごしてから、上海へ行き、日航機で東京へ帰りました。帰りの飛行機は大型のジャンポでしたが、乗客は全部で4人だけ。乗務員のオネーサン、「好きな席に座れ」とのこと。外国人はみんな逃げた後でした。

*日本のヤクザ屋さんが飛行機の椅子を倒して寝ていました。中国の若い女性を日本へ送り、妾として売りつける仕事をしているそうです。元嫁さん、当時は美人でしたから、「どうだい、売れるよ」なんてヤクザ屋さん言ってました。「なんて言ってる? 」と元嫁さんに聞かれましたが、まさか翻訳するわけにもいかないので困りました。

*宋氏形意拳には、震脚はもちろん、沈墜勁も十字勁も纏絲勁もありませんでした。当時の自分としては、取っ掛かりがありませんでした。そこで、六合歩の定歩でひたすら五行拳を撃ちました。解っていたことは、力を入れると駄目になる、ということだけ。そこで、ひたすら力を抜く練習をしました。しかし、勁力はありませんでした。

*2年後、上海郊外で心意六合拳を学習しました。結局、その鷹抓把で姿勢勁力のヒントをつかみました。勁力の根本は足にありました。その足は、地面を蹴らない足、でした。地面を蹴らない足が勁力を生み出します。その足は、蹠行性(せきこうせい) ではなく指行性です。

*これは体重に何も足さない、ということです。それが姿勢の勁力です。

*普通の勁力は、体重に地面を蹴る足と力を足します。それが、沈墜勁・十字勁・纏絲勁となります。しかし地面を蹴ると身体は浮きます。だから、沈むしかありません。

*勁力の無い私は心意六合拳に賭けました。これで駄目なら武術そのものを止めてしまおう、と決心しました。私は38歳になっていました。1991年の春でした。

*心意六合拳において、宋氏形意拳の熊の1号・2号がたいへん役に立ちました。熊の1号・2号とは、体幹の絞りのことです。すなわち、幻の龍腰のことです。龍腰という言葉はあっても、誰も明らかにできませんでした。私は宋氏形意拳の熊の1号・2号から、龍腰を解明しました。
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by tiger-hawk | 2016-01-31 05:08 | 勁力への旅

勁力への旅・その一

*若い頃、少林拳をかじっていました、二起脚の右足着地三回連続跳び、はできたのですが、とにかく低い。(右足着地とは、ジャンプした右足で着地すること) 旋風脚は両足着地がせいいっぱい。右足着地はとても無理でした。

*つまり、身体能力が低い。いつもぼーとしていて頭も悪い。人に簡単に騙されます。武術の才能も格闘技の素質も全く無い。それでも、他に趣味もないので武術を続けていました。もちろん、達人にはなれないけど、せめて勁力で撃てるようになりたいとは願っていました。

*ところが、八極拳も通背拳もその他も中途半端に終わりました。直接には、人間関係がメンドー臭くなったので止めたのですけど。

*形意拳は、上海の徐文忠先生の自宅に泊まり込み習いました。しかしある日、半歩崩拳を震脚でやって見せてくれました。私は、あーあ、また震脚かあ、とうんざりしてしまいました。震脚は八極拳でさんざんやったので、もういいや、と感じていたのです。今考えると、完全蹠行性(せきこうせい) の形意拳でした。踵でガツンと着地します。

*するとある日、形意拳の故郷、山西省へ行ったことのある先生のことを噂で知りました。これは、陳如慶先生(上海財経大学・武術教練) が教えてくれたのです。そこで、当時、上海市武術隊の総教練(監督) をしていた邵善康先生の自宅へ押し掛けました。暑い日だったので、スイカをごちそうになりガツガツ食べました。(オイオイ) 

*なんでも、宋鉄麟という有名な人の息子が健在だということです。宋光華先生というらしい。そこで、さっそく山西省太谷県へ行くことにしました。

*時は1989年、世の中は騒然としていました。上海市内は革命前夜のようです。中心街は学生のデモで歩くのもたいへん。道路は労働者がバリケードで交通止めでした。後の天安門血の日曜日、の前でした。デモ隊は、「人民警察愛人民」なんて叫んでいました。いや、そんなことないぞ、今に大弾圧が来るぞ、とイヤな予感がしていました。まさか軍隊が出動するとは予想していませんでしたけど。まあ、自分は外国人なので関係ないと気楽なものでした。

*噂では、北京に戒厳令が発令され、北京へ行っても駅から外に出られないらしい。そこで、北京経由はあきらめて、上海から山西省太源市へ向かう列車へ乗り込みました。当時は高速列車なんてありませんから、上海から太源まで27時間位、うんざりしながら寝ていました。ホントに着くのか不安でしたけど。

*太源では、山西省形意拳研究会(現在、山西省形意拳協会) 会長の張希貴先生の自宅を訪問。車派形意拳、宋氏形意拳、戴氏心意拳、などの情報を入手。(とにかく、なんにも知らないアホのフジマツ) その時、車派形意拳の先生たちもいたので、車派形意拳を見せてもらいました。戴氏心意拳の先生も紹介できる、と言われたのですが、なんとなく行かなかった。当時の戴氏心意拳は秘密主義でしたが、唯一開明的な先生がいるとのことでした。

*太源の駅から、怪しい私営のバスに乗り込み、いざ太谷県へ。よく解らないけど、駅前でおじさんがタイグー、タイグーと叫んでいる。タイグーとは太谷県のこと。ところが、途中で客を拾いながらなので、4時間もかかった。2時間で楽勝なところです。どんなバスだよ、と日本人の感覚では駄目です。

*宋光華先生の家を探し出す。さっそく、弟子入りを申し込む。同時に、泊めてくれと要求。図々しいです。

*ところで、当時の太谷県は外国人立ち入り禁止地区です。事前に上海市の公安局へ行ったのですが、許可が降りるまで一週間はかかる、と言われてしまった。メンドー臭い、と公安はスルーしました。

*宋光華先生に相談すると、弟子に警察官がいるから大丈夫となった。その晩に警察官が二人来て、警察署へ行く。パスポート見て、なにやら書類にサインしてOK。

*夜の食事も終わり、のんびりしていると、宋光華先生に広い土間に呼び出された。そして、熊の1号を教えてくれたと思ったら、いきなりドスンとやられました。あれ? なんだこれ? と混乱しました。

*たぶん大事なことを教えてくれたのだろう、と考えました。それが、私の動物武術の始まりでした。

*翌朝、一人で熊の1号を練習していました。すると、起きて来た宋光華先生がまた教えてくれました。たぶん、3分間位。習ったのはそれだけです。それを自分は生涯、追求することになりました。

*後に判明したところによると、熊の1号(熊形基本功) は、宋氏形意拳の五行拳の根幹でした.さらに後に解ったことですが、熊の1号は心意六合拳の熊吊膀と本質的に同じでした。また、熊の1号で、太極拳のロウシツヨウホも撃てるようになります。というわけで、熊の1号は、私の動物武術の大切な基礎となりました。

*熊の1号を教えてみると、みなさん肩が突出してしまいます。それで失敗します。これを、肩の暴走と称しています。すると、腕力だけで撃つことになります。あるいは、肩発勁病となります。

*大事な原則・・・「肩は尻にしたがう」、ということです。尻が主導します。これは心意六合拳の熊吊膀でも同じです。全ての宋氏形意拳の技、全ての心意六合拳の技に共通する原則です。拳でも掌でも同じです。(尻主導・・・これが形意拳の六合理論の本質です。これが解ると、六合理論は不要となります。) 

*これを身体の外側のラインで実行してはいけません。脇腹から鼠蹊部へ向かってのライン=龍腰を用います。この運動路線は前鋸筋から始まります。

*龍腰は腹横筋とも関係します。腹横筋で腹を左右へ引っ張ります。腹横筋で尻を巻き上げます。尻を収めます。いわゆる提肛のことです。

(中国体験記を消してしまい、叱られました。思いだしながら書いてます。勁力の発見と絡めて書いてみます。もちろん、つづきます。)
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by tiger-hawk | 2016-01-30 05:35 | 勁力への旅

回族心意六合拳・宋氏形意拳・動物武術・虎鷹拳院・姿勢勁力・藤松英一


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