宋氏心意拳
戦争国家主義者の女が防衛大臣になったそうですが、本屋で、「戦争は女の顔をしていない」スヴトラーナ・アレクシエーヴィチ著、岩波現代文庫、を見かけたので読んでみました。
なんだか、ヒート・シーガーの「花はどこへ行った」の歌を思い出しました。PPMの歌で有名ですね。
インチキ道場の練習はしっかりやります。
8月8日(月) 13時~光が丘公園芝生広場端北口方面(石のテーブルがあります)
8月10日(水) 19時~開進第一中学校体育館
8月11日(木) 12時30分~平和台体育館
8月13日(土) 19時~開進第一中学校体育館
シロクマさんが、「宋氏心意拳」と呼んでいいですか? と聞いてました。いいんじゃないですか? 私が拝師した時は、「宋式心意拳」という呼称だったし。
私は国際宋氏形意拳協会に属していないし、記念碑を造る時も馬鹿馬鹿しいので、石碑ができてからカネを送りました。そうすれば、私の名前は永遠に記念碑に刻まれることはない。プププ
その当時はまだ文化大革命の影響が残っていたらしく、"宋氏"心意拳を名乗るのは、封建主義だとの批判を恐れていたそうです。"氏"では私物化していると批判されるのです。宋光華先生、権力に弱い(笑) 。
*なお、陳氏太極拳ではなく陳式太極拳、楊氏太極拳ではなく楊式太極拳なのも、中国共産党と文化大革命の影響です。封建主義との批判を恐れていました。
宋光華先生、私が心意六合拳をやることを快く思っていませんでした。でも、私によって、心意拳=心意六合拳の核心が明らかになりました。
それは偶然だけれども、宋氏形意拳の後に心意六合拳をやることは運命でした。というのも、心意六合拳は絶対にやりたい、と心に決めていましたから。
心意六合拳をやって駄目だったら、武術は完全にあきらめる、と心に誓っていました。だから、師匠にボロクソに言われても耐えることができました。ボロクソに言われるのは、自分に才能が無いからだと理解できていましたから。
実際、当時の私は浮きまくっていました。大腿直筋で立っていました。空中浮遊状態です。鶏歩ができていなくて、下腿三頭筋に体重が降りていませんでした。だから、何言われても仕方ありません。