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動物武術の虎鷹拳院日誌

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瞬間の動物の勁力

*姿勢勁力の全ての打撃は寸勁になってしまいます。別に寸勁を練習していたわけではありません。自然と全てが寸勁になってしまいました。もちろん、距離ゼロでも撃てます。だから、寸勁なんて秘伝でもなんでもありません。

*もちろん、肩甲骨発勁でも手首発勁でもありません。それらは愚かな行為です。

*姿勢勁力の原動力は、足裏側筋肉の伸張性収縮です。そして、足の長さは変わりません。心意六合拳の弓歩は、弓歩のままです。心意六合拳の鶏歩は、鶏歩のままです。宋氏形意拳の六合歩は、六合歩のままです。

*相手との距離を詰めることもありますが、勁力とは無関係です。前進しても、その場でも、やることは同じなんです。

*だから、勢いは無関係となります。むしろ、勢いは邪魔になります。勢いに釣られて姿勢が崩れてはいけません。だから、勢いは殺します。助走は無用です。

*心意六合拳の弓歩と武式太極拳の弓歩は、足が伸びています。鶏歩は足が膝のところで曲がっています。曲がっていても、筋肉は伸張性収縮です。

*どちらが強いのか? ちくわさんは鶏歩のほうが強い、との見解でした。私もそんな気がします。測定したことはありませんが。

*鶏歩の場合、足はそのままで伸びません。でも、内部では伸張性収縮します。だから、外から見ても解りません。わずかに震えるような感じです。でも震えるわけではありません。

*それは歩き出し未満の動作です。それを打撃に変換します。だから、寸勁のように見えます。でも、長勁が無いので、寸勁もありません。ただの姿勢勁力です。

*で、この時に問題になるのが、「最後の肩」というわけです。最後の肩も消してしまいます。残るのは、足指と脇腹の前鋸筋だけとなります。

*姿勢勁力はとても簡単なのです。ただ、意識の切り替えをするだけです。でも、この意識の切り替えが難しい。特に真面目な人間にとっては難しい。

*私はとても軽薄でとても馬鹿です。ですから、意識の切り替えも簡単でした。それで、回族の陳先生の動作を見て、瞬間的に理解しました。もちろん、それ以前の経験もありましたけど。特に心意六合拳の師匠の、伸びない後ろ足、が印象的でした。

*でも真面目な人に地面を蹴るな、と言っても納得しません。絶対に地面を蹴ります。それ以外は信じられません。そこで、寄りかからない、拳に体重を載せない、体重移動しない、という要求に切り替えます。実は、それらはみんな同じことです。

*それだけでは勁力は出ませんが、一歩前進です。

*姿勢勁力はあまりにも簡単なために、そのために受け入れを拒否されます。

*姿勢勁力は、神秘の武術、神秘の太極拳を否定してしまいます。動的勁力を不要にしてしまいます。すなわち、世間のルールを無視してしまいます。

*姿勢勁力は私のような馬鹿ができたのだから、誰にでもできます。でも、利口な人には難しくなります。

*オオカミのように、瞬間そのものに生きる、と簡単にできます。

「哲学者とオオカミ」(愛・死・幸福についてのレッスン) マーク・ローランズ著、より・・・
 オオカミはそれぞれの瞬間をそのままに受け取る。これこそが、わたしたちサルがとてもむずかしく感じることだ。わたしたちにとっては、それぞれの瞬間は無限に前後に移動している。それぞれの瞬間の意義は、他の瞬間との関係によって決まるし、瞬間の内容は、これらの他の瞬間によって救いようがないほど汚されている。わたしたちは時間の動物だが、オオカミは瞬間の動物だ。瞬間はわたしたちにとって透明だ。瞬間に手を通して、わたしたちは物事を手に入れようとする。瞬間はつかみどころがない。わたしたちにとっては、完全にリアルではない。存在しないのだ。瞬間は過去と未来の亡霊で、過去にあったことと未来にあるかもしれないことのエコーであり、予想なのだ。
by tiger-hawk | 2017-02-11 15:14 | 姿勢勁力

回族心意六合拳・宋氏形意拳・動物武術・虎鷹拳院・反人間本能の勁力・藤松英一


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